ハッピー(!?)冬至
ここんトコ、気温が急降下していた香港。
ロクな暖房もなく、なけなしのちっちゃい足元暖房をつけてても「肌が乾燥して気持ち悪い」と超ドライスキンの旦那Kから一蹴され、出掛けたくもないのに仕事関係の友人と寒空の中、香港からオフィスを撤退すると言う彼女の手伝いで延々と寒いオフィス(暖房は勿論ない上、暑がりで尚かつ喫煙者な友人は窓を思いっきり開け放っていて、大風が吹き込んでいた)で山ほどの書類を仕分け、箱詰め、梱包していた私は、その日、帰宅しながら夕飯の買い物をする気力もないほどの不調を既に感じていた。
その後夕方の市場で、叩き売り状態の野菜とキノコを買い込んで鍋にしようとした時、やけに分厚い平茸だな〜とちらっと思ったりもした。
そして熱々の鍋を食べながら、ヒラタケの1つに「アレ?ちょっと傷みかけてたかな〜?」と感じた。
1時間ほどすると、胃腸炎特有のお腹から足にかけてザワザワする感じ。
でもその割には、スゴい下痢も嘔吐もなく、ただザワザワしているだけなのだ…。
寒さにやられたか、キノコにやられたか…
とにかくさっさと寝た。
翌日、夜は冬至で家族ディナーだったから、日中の内に友人オフィスの梱包作業の続きをしようと思っていた私の身体は絶不調に陥っていた。
「体調悪いなら寝てろ。寒いからベッドから出るな」
そんな漢なセリフを叩きつけて自分は寒空の下に出ていったKを見送り、ガチで寝る。何もしないでひたすら寝る。耳の後ろがズキンズキンと痛んで、下痢も嘔吐もないけど腹はザワザワ落ち着かないまま。電気毛布をつけても実際の寒さと悪寒からか手が痺れて、堪らず電気毛布の温度を最大限に上げた。
こうして電気毛布ガンガンで丸1日寝てれば夜までにまあまあ復活できて家族ディナーに行くんだろうと思っていた。
でも次に目を覚ましたのは「寒いからお前は今晩行くな。ご飯持ち帰って来てやるから」というKからの電話だった。
相変わらずのズキズキザワザワゾクゾク。
その気持ち悪さから逃れようと眠りにつこうとする私。
ズキズキがヒドくて眠れないまま、空腹のせいか胃酸の逆流もあって、何か少しお腹に入れたほうがいいのかもしれないと、Kがお姑の家から持ち帰ってきたご飯とおかずを食べようとつついてみると、明らかに体調が悪化。
歯磨きして横になろうと、洗面所に入った途端に猛烈な目眩に襲われて、目眩の激しさに驚いて「うわ〜、すごい目眩がする!」と言って寝室に向かおうとして、気づいたらKに背中から羽交い締めにされた状態で床に座り込んでいた。
グニャグニャと足に力が入らず、トランポリンの上を全力疾走している感覚で、必死に足を突っ張って、自分の身体をベッドに引っ掛けて、ズリズリとベッドに登ろうとした。
この時、この明らかにおかしい状態に自分では全く気づいてなくて、Kが「我報警!(通報だ!)→香港では救急も警察も999に通報して、そこから用途別に分けられます)」と叫んだのを聞いて、「何を言ってるのかな〜」と思っていた。
自分が床に羽交い締めにされてる事にも、足に力が入らず立てない状況も、そんな中で、それでも自分なりに必死にベッドに自分の身体を乗せようと奮闘してる事にも疑問も持たずに順応してベストを尽くしている自分の異常さに、通報を終えたKからの話を聞いて、やっとゾッとした。
「目眩がする〜」と叫んでから羽交い締めされるまでの記憶が完全に飛んでしまっていた。
私が気を失って名前を呼んでもビンタしても反応しなくなって、その間少し白目を向いて、両手首をグッと折り込んで強張らせて癲癇の発作のようになっていたらしい。
「救急車は30分後に来るらしい」
Kがそう言って、私はやっぱり歯磨きをした。
歯磨きをしながら、私は自分の頭がこれ以上なくスッキリ爽快に冴えているのと、何故か頭一杯にひどい汗が吹き出してくるのを感じていた。
救急車は15分くらいでやってきて、3人の救急隊員に名前、ID番号、何が起こったかを説明させられて、隣の人や下のセキュリティのオバちゃんに声をかけながら救急車で搬送される。
22:30くらいに病院に運ばれて、血を取られ頭のCTや肺のレントゲンを撮られつつ「目眩で意識不明になってるから先生が入院してくださいと。でも今病院は一杯で空き部屋がありません。ここ(廊下)で順番待ちして入院する事に同意しますか?」と聞かれて「同意しますか?」って言うか「入院しろ」って言ってんのに同意しないっていうチョイスないよね?と思いながら「同意します」と言う。
こんな夜中にこれだけの待ち人を入院させるだけの退院患者がホントにいるんだろうか…と思ってたけど2時半を回る頃、部屋が空きましたと言われて3時半くらいに病室に入れてもらえた。
目眩や転倒で入院した患者は、ベッドから下りるのが許されず、トイレも全てベッド上でさせられる。初めて香港の病院に入院した時は、カーテンも引いてもらえず夜中とは言え集団部屋で用を足した屈辱が蘇るが、今は同じ病院でも改装して見違えるほど美しく、しかもカーテンは必ず引いてもらえるように改善されていた。
ランチはKが面会時間で来ていたので撮れず。
そして晩ごはんを食べ終わる頃、もうすぐクリスマスだからか、多分キリスト教ボランティアの人たちによる、クリスマスソングと聖歌の合唱があった。
「風邪からくる胃腸炎でした」?
「キノコの食中毒でした」?
そんな説明は一切ありゃしない。
患者サイドは往々にしてそういう原因の究明を期待するが、病院がその期待に応えてくれる事はほとんどない。
すぐに原因がわかって今日退院できるかと思ってたのに、クリスマス休暇で医者もいないのか、明け方に手足の知覚検査に若い医者が来たきり医者も来ず、原因は究明されず退院も出来てない私。
加齢と共に益々色んな危険と背中合わせになってくる事を実感させると同時に、目眩を起こしながらも頭も打たず怪我もせず、Kに助けられて無事でいられてある意味何てハッピーな冬至だったなと思う。