PC周辺機器一新と断捨離第二波到来?!
せっかく去年、断捨離と称して、膨大な時間をかけながらコツコツデータ化した写真。それなのに、HDDが壊れて消滅してしまったデータたち。
壊れて読み取れなくなってしまった何千枚もの写真は諦めるしかないにしても、今後は何を記憶媒体にしようというのが今後の課題として残りました。
それが、壊れたHDDから読めるデータだけでも救出しようと思うものの、差し当たってその膨大なデータを一気に移すだけの器がない、という事で、使い勝手のいい記憶媒体を求め、コメント欄にたくさんいただいたアドバイスからSSDにしようか、何気に衝撃には結構強い気がするメモリースティックにしようか・・・色々考えておりました。
ところが、ある日旦那Kがコレを買って帰って来ました。
5TBのHDD.
Kのプログラマーの友達に相談したらば、メモリースティックは、記憶體が一枚入っているだけの単純構造だから安定性は良くないとか、SSDはデータを随時書き換えたり取り出したりするのがHDDほど簡単ではないとか、色々言われたらしく(具体的にどういう事なのかは私にはわかりませんが)
とにかく結果として、私に与えられたのは大容量のHDD。
3年保証があるので、とりあえずデータたちの3年の延命措置。
ふう、致命傷で済んだぜ。
・・・ま、確かに私には専門的な事を細かく説明されてもわからんし、前の2TBのHDDの倍以上の容量がある器を買って貰ったから、ここはひとまずKに感謝!これで新しい器を与えてもらっただけでなく、どの記憶媒体がいいか、頭を悩ませたり研究したりする手間も省けた(⌒▽⌒)アハハ!
なので、私は再び時間をかけて、壊れていないデータをできるだけ新しいHDDに移動するという作業中。
が、たくさんのファイルは既に読み込めなくなっていて、特にあれだけ膨大な時間を費やして、アルバムから写真を取り出して、一枚一枚スキャンしてデータ化した写真たちは、開いてみると何百枚もある中のたった一枚しか読み込めないというのもありました(T_T) こんな風に↓↓
どうやらデータ自体は壊れてはいないようですが、開こうとすると延々と砂時計です。
そして、そんなさなか!5年間使っていたサムソンのアンドロイドが、ある日突然のスコールに打たれて、中のSIMやSDカードも水浸しになって壊れましたΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
カードを外して、二日間置きっぱなしにすると、電源はつくようになったものの誤作動の嵐。勝手に色々なアプリが起動したり、電源オフもできない、充電器を繋がなければ何を押しても画面が立ち上がらない状態に・・・。
・・・仕方なく新しい携帯電話を買いに行き、買ってくれたのがコレ(写真にウィキを貼り付けています)
ともかく、90%のデータをショップ側で移動してくれたものの、note用に書き溜めて来た自作イラストや、色んな思いつきを書き留めていたメモが移動できず。
イラストは大半をピクチャーで画像として保存し直していたので、よく使う系は写真としてアルバムに残っていましたから、それで良しとし、一回こっきりのイラストは手間をかけて移す時間も勿体なかったので切り捨て。メモも不要なものは切り捨てて、見直したいものだけをGmailで共有してパソコンにメールとして保存しました。
こうして、図らずもPCと電話両方でデータ整理と保存を同時進行することとなり、膨大なデータを前に思いました。
データとして残しているものの中にも結構無駄なモノが多いなと。
昔の写真は、学校行事や家族旅行、何か特別な事があっての記念写真なので、見ると色んな思い出や懐かしい気持ちが湧き上がってきますが、近年の日常記録は、それを何かの分析とか統計とか、すぐにその時の心情と共にシェアするとかしない限り、残して置く価値はあまりないような写真ばかり。
特に携帯電話で手軽に写真を撮れるようになってからは、日記のように写真を撮り続けた結果、ちょっと「お!」と思ったら何でも撮るようになり、それが習慣となると、その瞬間は「かけがえのない一瞬」を切り取ったような気になっているものの、後から見ると何の思い出も思い入れもない写真が大量ありました。
例えばこんなヤツら。
帰省中の母の運転する車窓から、キレイな立山連峰が見える度に感動して写真を撮ったり(こういう写真が何十枚とある)
食事記録でおやつのフルーツだけ撮ってたり
冬に帰れば、雪が降ったと言っては撮り
大雪が降ったと言っては撮り、
雪が止んで青空が出たと言っては撮り
友達からお中元、お歳暮が届いたと言えば撮り(そういう儀礼的やりとりをする年齢はずっと海外にいたので、こういうやりとりを全然して来なかったから)
読書記録のつもりで読んだ本を撮り(親の病院の付き添い)
桜は目にする度に一本残らずの勢いで撮り(サクラーだから)
家の花が咲いたと言っては撮り
・・・・・・・・・。
何の思い出も思い入れもない、と言ったら語弊があります・・。もちろん、どの一枚も愛おしく、かけがえのない気持ちで撮ってはいるんだけども、特に日本に帰ると目にする全てが大切に思えて、何もかもを残しておきたいと思ってしまい、写真は際限なくどんどん溜まっていくのです。
例えば、母の手料理はフォトジェニック!と思って撮っていたそのままの勢いで全然フォトジェニックでも何でもない自分の料理まで写真に残す。これはただの食事記録のつもりです。
数年前か十数年前くらいに、食べた物を書き留めるだけダイエットみたいなの流行ったじゃないですか。完璧にその名残・・・。
それをやるなら、食事内容を見直して改善するとか役に立ててナンボな写真なのに、ただ写真を撮ってミッションコンプリートな気になっています。そこにどんだけデータ無駄遣いしてんねん、って自分でツッコミを入れたくなるくらい。
過去の食事記録は、その時役立てなかったらただのゴミ。インスタに載せるほどフォトジェニックなわけでもない。
そんな写真・・・要る?!
そうして残す写真も厳選したところ、何千枚の写真が数百枚になりました。写真がラクラクと撮れるようになって以降、余りにもどうでもいいものを撮りすぎ、残し過ぎている自分に反省。
こうして、私は今、このPC周辺機器や新しい携帯電話に少しでも無駄な画像データや音声データを残さないようにしようと、目的があって撮った写真は音声は即使い(インスタやnoteとかに)排出という、断捨離ではなくて、普段からなるべく溜め込まない生活への移行を何となく余儀なくされている感じです。
食べたら出すのと同じくらいに、インプットしたらアウトプットする、そういう姿勢が自分の中に定着しつつあるような気がしています。
そして最近、旦那Kがやけに
「一か月使ってないものはゴミだ」
というセリフを口にするなと思ってはいたのです。(一か月は短過ぎやろと思うけども😅)
少し前、香港で日本の断捨離番組をやっていた時期があり、そこから西洋の家掃除(断捨離と言うより汚部屋を何とかする系)番組や、マレーシアの断捨離番組などが立て続けに放送され、マレーシアの番組で華僑一家の断捨離で、年老いたお母さんが何でもかんでも捨てたがらない姿に自分の母親を照らし合わせたようでした。
それがKの中の使わないモノは捨てようという意識に、ちょっと刺激を与えたようで、ある日起きたら、壊れて使えなくなったまま10年ほど置きっぱなしだった音響機材や、色んなお土産品みたいなこじゃこじゃした動物の置物やらが置いてあったテレビ棚がガラガラになっていました。
壁一面全部の巨大工具棚の中も今までどんだけ不要な物を貯め込んでたんだと思う程すっきり片付いていました。
我が家には、以前のある意味衝動的な、何かに突き動かされるように捨てまくる断捨離とは違う、もう少し緩やかな無理のない断捨離の第二波が来ているのかもしれません。