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自閉の医師は自閉を治せない。

【自閉の障壁の人もどうか幸せに‼️そういう社会にしたい】

私たちが実際に紙に書くということは、見て感じる心、自ら書いて覚えること、その紙を整理しようと行動すること、結果的に人間としての脳を鍛えていくことである。

世の中はデジタル化になっているが、デジタルにして良いものとしてはならないものがあると私は思う。

例えば、お年玉をお年玉袋買ってきて、お札を丁寧に包み、渡したい相手様の宛名を書き、自らの名前も書き、渡したい。相手のところに届けに行く。この行為行動、
ここには、労力と言う人間としての本来の愛情や心が込められているだろう。

しかし、もし、お年玉というものが、デジタル化してしまったらどうだろうか。
無味乾燥、電子マネーで送っただけの、単なるお金になってしまうだろう。

この違いが、どこに重みがあり、どこに価値の差が開くのか、これが理解できないのが自閉的な病であるが、

私の元配偶者は、重度の自閉的ではあったが、私と共に実際に行動をし、実際に対面をし、実際に現場で争い、そのようなことを、50代後半から約10年間、ひたすらに共に繰り返して学習したことで、元配偶者は、今では、1人で何を作って何を今日食べようかを自ら考え、スーパーに行けるようになり、歌を自らよく聞くよく歌えるようになり、人前で意見を少しは述べれるようになり、

人が亡くなったときの悲しみも、少しは感じられるようになり、この感じるだとか勘が働くだとかの、この人間、愛や心を司る機能の全てが、本当に少しではあるが、奇跡的に機能し始めたのである。

この問題にいち早く気がついた私は、自閉的とか自閉の病だとか障壁だとかと言う個性は。実際に対面をし、実際に運動をし、実際に人とコミュニケーションを取り、実際に現場で喜怒哀楽を目の当たりにし、そのようなことから逃げなければ、本当に少しではあるが、その人間としての機能を回復することができると、私は気がつき、そこにひたすらに向き合ってきた10年だった、

まるで施設の支援員の仕事をしているようではあったが、
相手の脳の機能が少し回復したり、少しは共に怒哀楽を共有できる(表面上ではあるが)これは医学にとっても大きな進歩だと私は考えている。

実際に、この仕事は私にしかできなかっただろうし、実際の社会の支援員としては、私の取る行動はあかん!と言うことになるだろう。なぜなら、そのメカニズムを作ったのがおそらく閉鎖的な、自閉社会だからである。

そして今、医学は、自閉的な個性障壁に対して、人間の愛の部分や心の部分が理解できない障壁であると言うことが研究され、この個性(障壁を持つ方に対しては、

今まで治療薬が存在しなかったが、人間のこの心の部分を司るホルモン(オキシトシン)を投与していく研究が実際に
始まっていくことも私は嬉しく思った。

要するに、人間の心や、愛やニュアンス的な部分、感性と言うものは、生まれ持った遺伝子である程度決められているものであり、 この感性や直感観察していく能力と言う極めて人間として、重大な能力がどんな仕事にも重要になってくる時代が来るだろう。

私たちは、人間であり、機械ではない。
デジタル化は合理化、簡素化、スマート化、などと言う面においては、リモートメール、チャット、これは便利ではあるが、

例えば、学校の授業が全てリモート授業になったら、実際に自ら友達を作ろうとも努力をしなくなり、講師の言う人間としての熱量や人格の感性、これをも見抜けない人間が増えて、大変なことになるだろう。

野球や、サッカーや、ゴルフや、音楽がもし全てデジタル化してしまったら、これもシュミレーターゴルフ、シュミレーターベースボール、このような事態に陥ってしまえば、実際にゴルフ場に行く楽しみ、実際に緑を見て良い空気を感じて、運動した後においしいご飯を食べ、行く仲間と会話をし、このようなことも全てなくなってしまうということである。

デジタル化の全てが正しいわけではないと私は思っている。

何でもかんでもデジタルにすれば良いとは私は思わない。

やはり、人間は、人間としての感性、心、こういうものを実際に感じ、実際にやり、実際にコミニケーションを取る対面をするこのような感じることができる人間が、これからの時代は活躍するだろう。

私が思う。クリエイティブとは感性のことであり、感情感性とは人間の心だと私は考える。

これが生まれ持って、世界観の部分で閉鎖してしまっている。個性を自閉的だとか、自衛の障壁がある人だとかと言うことや。

実際に私は、自閉の障壁のある子供たちの施設で働いたこともあるが、この障壁を抱える人々は、それ故、相手が、悲しんでいるのか、苦しんでいるのかを生まれ持ち感じにくいということや。

才能がないわけではなく、そこの相手の実像現実、生身を感じにくいがゆえに、その本人自身の良さも表に出てこない。

せやから、医者は、
医者ならば、自閉的なことばかり言うてないで、自ら感性を磨く人間の心がわかる医者ならば、
自衛の障壁を持つ人々の本当の医者になれるだろう。

しかし、これがまた私が経験したことを話すと、
医者自身も、自衛の障壁を持つ医者が多かったため、元配偶者の治療は進まなかった。

私はこの問題10年以上携わり、本当に困難な出来事がたくさんあり、どうかこの障壁がある人々にも幸せになってもらいたいと考えている。

このように信念があり、せやから私は頑張れた。

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