大学までの距離

田中章義さんの『キスまでの距離』という短歌集に、

新学期
キャンパス行きのバスを待つ
きみのピアスが乱反射せり

という短歌があります。

新学期という言葉から、大学1年生というよりは、もう大学生活がある程度慣れた、大学2年生以降を想像させる初句。

通い慣れたキャンパスへ行くバス。別に歩いて大学まで行っても構わない。だけれ、そのバス停の決まった時間に、1年生の頃から気になってた「君」が並ぶから、僕もそこに並んでいる。

そういう想像を「ピアス」の乱反射する光が想像させるような初々しい一首なのです。

「あとがき」を拝見すると、作者の田中さんは、短歌集を上梓された当時、まだ大学3年だったそうで、その感性には驚くばかりです。

歌集が上梓されたのは1992年。だけど、この短歌には、今の学生さんたちが体験できないすべてがある。「新型コロナ」で失われた「普通の大学生」がすべて描かれています。

すでに「リモート」での「教職」を体験された多くの方々が直感されているとおり、ZoomやTeamsでは、「本人の正面から映った画像」によって、やりとりがなされます。でも、あなたが「元大学生」や「元高校生」なら、ちょっと思い出してください。あなたは「自分の同級生を、全員、真正面から見たことがありますか?」

教育現場における「リモート授業」は、ともすれば「動く卒業アルバム」のごときです。つまり「好みの顔の選別」が容易になる。私が学生だった頃、3年生のあるとき「クラスにこんな素敵な人がいたんだ」という発見って、本当に忘れられない思い出だけど、いまやそれが「パネルの選択」みたいになっている。あたかも「夜の街のホスト・ホステス写真選び」同然です。

自粛だから「ピアス」が太陽の光で「乱反射」することもない。偶然にバス停で隣に居合わせ、体温を感じることもない。そもそも「キャンパス行き」のバスは「若者がコロナの主たる媒介者」ということで、「新学期」なのに発車することもなく、車庫でさび付いている。

田中さんの短歌には、大学生の喜びとアホらしさと輝きがある。そのようなものが、いま「大学1年生」となった多くの方たちから奪われている。

私は本当に、何かが間違っているように思えてならないのです。

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