「きもちのせいり」とは 1
性格研究室では自分の性格を研究するわけであるが、
それは、
「今の自分」を検証し、客観的に観て
不自然な箇所、違和感のある箇所を把握し
原因から取り除くことで
「本来の自分」に還っていく方法を研究するものである。
が、原因から取り除く、本来の自分に還る、というと漠然としているのでもう少し具体的に表現していこうと思う。
我々人間がこの世に存在し始めたその時は、生まれ持ったDNAに刻まれた情報以外、この世の成り立ち、仕組み、ルールなど何も知らない状態なのであるが、
私たちの知性を司どる「脳」では、なんらか事柄を経験するたびに記憶するという機能がある。
そして人間の肉体にはその脳と、五感覚をキャッチする感覚器(目・耳・鼻・舌・皮膚)が備わっている。
我々はこの世に存在し始めて以降日々、発達していく脳に五感覚からの情報と事象との関連性を記録していく。
そして事象に対して感覚した快・不快により、感情が生まれ、その感情を「また経験したい」と思うか「経験したくない」と思うかのいずれかにより、自分なりに経験した事象を知性で定義という処理をしていく、というのが我々人間という生き物なのであるが、
その定義が本当に、地球および社会の成り立ち・仕組み・ルールに合致したものであれば、この地球、社会において生きていくにあたり、目標達成や危険回避が意図した通りになっていくはずである。
しかし残念ながら往々にしてそれは、独りよがりや、その家族や地域など小さなコミュニティ限定の定義になりがちなものである。
なので、成長に伴い、生きていく場が家族→学校→会社→新しい家族と変わっていく時に、新しい場の定義をキャッチして書き換えていく必要があるのであるが、どうしても気付いて書き換えられるものと、できないものが出てくるのが現実である。
そしてその定義は定義された順に積み重なっていくものであり、
大人になればなるほど派生した定義は複雑になり、
また基礎となった定義は本人的には常識的になりすぎ、
結果としてニュートラルな状態に戻すには、意識的に取り組まない限りは
まず無理と言える。
さて、この定義が独りよがりだったり、小さなコミュニティ限定の定義であることや、またそれを強く頼りにして生きていくということでどんな問題が起きるかというと、主には
1.人生を思い通りに生きられない(期待が叶わない)
2.人間関係がうまくいかない(人と信頼関係が築けない)
ということが起きる。
1は、自分が当たり前にイメージする「こうやってこうすれば、こうなる『はず!』」という物事の成り立ちが、
*独りよがりの定義(=以後”自分定義”と表現する)や小さなコミュニティ限定の定義(=以後”家族定義”と表現する)をベースにしていて
*その自分定義と家族定義が、社会や地球の定義(=以後”地球定義”と表現する)と違えば違うほど、
社会に出た時、思った通りにならない、という現象になってしまう。
簡単にいうと、期待が外れる、という現象が起きるが、
この期待が外れるというのは人の精神をひどく削るものである。
そして2は、自分定義や家族定義が地球定義とズレればズレるほど、
自分の話が通じる人が少なくなるという現象が起きる。
このズレの大きさに比例して、定義、似た言葉では「自分の常識」を、非常識と受け取る他人が多くなるのである。
ここで注意したいのは、自分が間違っている!と考え過ぎたり、自己卑下になりすぎないことと、自分とは違う定義を持った他人を美化して無闇に尊敬したり、憧れたりして模倣しない、という点である。
どんなに素晴らしく見える人でも、地球定義からズレた定義であれば、遅かれ早かれいずれは
1.人生を思い通りに生きられない(期待が叶わない)
2.人間関係がうまくいかない(人と信頼関係が築けない)
ということが起き始めるのだ。
外側の誰かを基準にチューニングするのはそのような危険がある。
逆に、全く危険なく安全に、必ず幸福感のある人生に引っ越す方法もたった一つ存在する。
他人と比較して優劣をつけることではなく、常に、自分を
地球定義を基準としてチューニングしていくこと。
である。
(「きもちのせいり」とは2に続く)
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