ウンピとエスカレーター
ある日のことだった。
仕事中に便意を催した僕は、そろりそろりと席を立ち、トイレに駆け込んだ。
3つある個室の内、入り口から一番近い所に入った。
ベルトをほどいて座ろうとすると、便器の隅の方に、流れきれなかった1cmくらいのウンピが残っていることに気が付いた。
(あ…前の人のヤツ、残っとる…)
といっても、そんなのは珍しいことでもなんでもない。むしろよくある事だ。
気にせず、僕はそのまま自分の用を足した。
立ち上がって流しのレバーを引くと、勢い良い水が噴き出した。
個室を出る時、なんとなく気になって、もう一度便器の中を覗いてみた。
例のウンピがまだ残っていた。
おそらく、水流があまり激しくない場所に付いてしまったんだろう。
僕は思った。
(わぁ…次の人に、僕の残したウンピだと思われるな…)
個室を出ると、誰もいなかったので、ちょっと安心した。
…
その日の帰り道。
退勤時間で混み合うホームの中、改札に向かうまでのエスカレーターを降りている時だった。
前のおじさんが、急に立ち止まった。
(ぎゃっ!急に止まるな!)
僕は少し慌てて、差し出した右足を引っ込めた。
身体が少しだけよろめく。
そしてしばらくそこで止まったままでいると、また前のおじさんが動き始めた。そして今度は止まることなく、降り場までたどり着いた。
まぁこれも、エスカレーターではよくあることだ。
…
駅から家に着くまでの10分ほどの道のりで、今日の出来事を振り返っていた。
トイレのウンピや、エスカレーターのこと。どれも日常ではよくある、他愛もないことだ。
ふと気づく。
僕はその他愛もない出来事達を、当然のように”自分の前の人”が原因で起きたと考えていたことに。
よく考えてみれば、そんな証拠はどこにもない。
あのウンピはその日の朝、通勤電車からずっと用を我慢していた人が、誰よりも先に駆け込んで残していったウンピなのかもしれない。
エスカレーターで前のおじさんが立ち止まったのも、おじさんの前の人が立ち止まったからなのだろう。
そう考えると、僕は被害者面ばかりしている、なんて浅ましい人間なんだろうと、途端に恥ずかしくて申し訳なくなってきた。
ウンピとエスカレーターが教えてくれたこと。
それは、生き急ぐ僕たちにとって、案外奥深いことかもしれない。
おわり
*エスカレーターは止まって利用しましょう