なくなってよいもの
「なくなってよいものはもっとたくさんあるやろ」などとぼそぼそつぶやきながら、枕元に置いていたはずの携帯電話を探す。
昨日飲んだコーヒーの空き缶。
スーパーの特売(期限切れ)を知らせるチラシ。
「お前は誰の何やねん」と思わず言ってしまうような
インターネットの罵詈雑言。
寝惚け眼で台所に向かうと、どこから入りこんだのか
小さい蜘蛛がスポンジの上を這いずり回っている。
自分より若い人が亡くなってしまうのが悲しい。ましてや自死を決断するなんて。
何故かわからないがもっとできることがあったんじゃないだろうか、とかそういう気持ちになってしまう。大いな自惚れ。
世の中にはどうしようもないことで溢れていると思い込んだはずなのに。
「自分が幸せじゃなくてもいいや、周りが幸せなら」と思って生きた方が楽なんだと気づいたのはいつだろうか。
そしてそれを「優しさ」と呼ばれることに違和感を感じるようになったのは何歳の時からなのだろうか。
「良い人ぶっている」と批評され始めたのはどの時からだろうか。
少なくとも自分の記憶にはない。
今一番会ってインタビューしたい相手は過去の自分かもしれない。
笑いたい時に笑えたり、泣きたい時に泣けたり、怒りたい時に怒れる人が本当に羨ましい。
それでもやっぱり、「生きていかなくちゃいけない」というか
「生きていたい」とある種脅迫のような、呪いのようなものに囚われている。
自分という人間はよくわからないと同時に興味深い。
こういう自分はなくなってほしくない。
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