【日本史#12】平安時代3 - 平将門の乱【歴史】
平安時代は漫画などで「鬼」に関することをモチーフとしている作品が多く見られます。
この時代は貧富の差が激しくて盗賊が増え、貧しい民は家族の亡がらがあってもそのままにして葬式すらできず、ある者は川へある者は道端へ置いていったらしいです。
だからとても不衛生で且つ少ない財産(服や食べ物)を奪い合い、人々は邪念に溢れていました。
その心境のせいか、いつか「鬼」が出ると語られるようになりました。もしかしたら人同士が醜く争う姿を鬼と捉えたのかもしれませんね。
平将門の乱
平将門(たいらのまさかど)は豪族です。
豪族と貴族の違いは
貴族:都に住む力を持った者
豪族:地方に住む力を持った者
らしいです!
平将門は桓武天皇の血筋を引いています。
都に居るよりは恐らく新しい土地を開墾する為に地方にいたのでしょう。
激しい親族間の争いがあってこの分野では多くの平の一族が登場します。人名を出しすぎると誰が重要人物か分からなくなるので極力伏せています。
平将門の叔父の一人は将門を討とうと兵を挙げますが、返り討ちに合い死んでしまいます。それに怒ったその叔父の子息の平貞盛や関係者が935年に将門を再び討とうとしますが、負けて撤退します。
将門さん強い。その強さは当時日本一( ̄▽ ̄;)
ちなみに権力の争いではなく、土地の奪い合いが発端です。
どうしても将門が邪魔なのでしょう叔父達は朝廷に訴えますが、将門は朝廷に敵意はないと示して罪には問われませんでした。
939年に将門はお世話になった藤原玄明(ふじわらのはるあき)をかくまいます。調べてみると玄明は税金を未納していたようです。
かくまうという事は朝廷に逆らうという事。でも将門は強さと人情も溢れる漢だったのですね!
朝廷が兵を挙げるも難なく勝ち、勢いをそのままに関東の8つの地域を占領してしまいます。
将門さんは自分の国を造ったのですね( ..)φメモ
朝廷が貧しい民から税金を搾取する構造に不満のあった民は将門側に付く者も多かったでしょう。
朝廷は将門が強すぎて何か神がかり的なモノが憑いていると疑いません。そこで祈祷(きとう)などをしていたようです。
平将門が討ち取られた理由
罪のある人をかくまう心優しい将門。
彼の心意気は遣える民に向けても表れます。自分の国で兵を1000人ほど残して、他の人々は家族の元へ返してあげます。
手薄になった将門を平貞盛と共に4500人の兵が戦の準備を整えます。それに気付いた将門は1000人で立ち向かいますが、負けて一時撤退。
数日後に再戦するも討ち取られてしまいます。
平将門の乱は935年か939年のどっちか迷うかもしれませんが、この期間を総じているのだと思います。
確認問題
豪族とは何か
平将門がかくまった税金未納の者の名前は
平将門が争った戦いを総じて何という
平将門の同族でありながら宿敵の名は
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