誰も私を引退させてはくれないし、またさせられないのだ。[マラソン]
だいぶ久しぶりの投稿になってしまいました。
フルマラソンは年二回が理想と個人的に思っているのに、
今年は夏中ぼけっとしていたせいで年内マラソンはエントリーの機会から逃してしまいました。
投稿の過疎化からもエントリー状態からも弛み具合が見て取れます。
個人的目標としてずっとサブスリーを掲げているものの、
12月初めでこのタイムということは、今シーズンはベスト更新も厳しかろう、と既に勘付いてしまっています。
それでもいつかベスト更新、目標を達成するため今年も走らねばとも思います。
今年が駄目でも来年がある。
まだまだいくらでも挑戦できるんだ!と。
しかし、このいつまででも挑戦”できてしまう”ことへの厳しさも感じる、
今日この頃です。
学生時代の"引退"はエモくほろ甘苦い
自分語りになりますが…。
私は学生時代、部活で水泳、漕艇(ボート)をやっていました。
選手としては凡百でしたし、99人がそうであるように私も他聞に漏れず、
最後の大会でも目標には達しないまま引退を迎えました。
頑張ったが、打ち込んだが、届きはしなかった。
高校三年の、大学四回生のこの大会にはもう二度と戻れない。
きれいに晴れ渡った空を仰ぎながら、青春の終わりを、ほろ甘い苦い喪失を噛みしめました。
…なんってエモいんや。
もちろん当時はほろ”甘い"なんて糖度は微塵も感じなかったものの、
時を経た今となってはなんとも瑞々しく色鮮やな思い出です。
学生時代の”引退”と”挫折”はエモいんです。
なぜって、強制的に与えられこちらに選択肢がないから。
「最後の大会が終わった」のなら、そりゃ確かに、もう諦めるしかない。
純度100%で感傷に浸れるわけです。
誰も社会人を引退させてはくれない
翻って、社会人のスポーツはどうでしょう。
”ここで引退”という制限時間はどこにもなく、
マラソンでいうと60代以上でベスト更新サブスリーなんて謳い文句も溢れているから、まだいくらでも挑戦できる。
挑戦できてしまいます。
仮に来シーズンを大本命の年、大学で言う最後のインカレと据えて、五割増しで練習に励んで、しかし目標には届かなかったとしましょう。
「頑張ったが、打ち込んだが、届きはしなかった。嗚呼、これで引退か…」
と挫折に浸ろうとしても、瞳をとじれば悪魔的な者がひょっこり現れてこう言うわけです。
「いや、別にまだ来年走れるやん。なに挫折しようとしとん。
一生続けたら、まだあと100回くらい挑戦できるんちゃう?」
いやいや、……。
…なんも言えねぇ。
関門での制限時間がないマラソンみたいなものです。
制限時間で切られれば嫌でも強制終了、
「まだまだ走りたかったのに、関門がなぁ~」と言い訳できますが、
外から打ち切ってもらえないとなれば、
自ら挙手して「ここで走るのやめます。私は自分から諦めます」
と宣言しないといけない。
引退するかどうかは、貴方次第。
マラソン側からは決して終わらせてはくれません。
エモい”制限時間”はもうない
もちろん、もちろん、
今年駄目でも来年があるというのは救いでもあります。
特に故障で一年を棒に振った年なんか、救いでしかないと思う。
最後の大会まで日がないのに故障を抱えて、
泣く泣く諦めたり無理してしまったりというのは学生スポーツならではで、
物語でもその板挟みの辛さや焦りはよく取り上げられます。
”制限時間”の切実さこそが物語を盛り上がらせるといえるでしょう。
社会人で走る我々は、制限時間から解き放たれてしまいました。
エモい最後の大会は抜きに、目標を達成するまでやるか、諦めて或いは飽きて自ら手を離すしかない。
そう、ドラマ的な盛り上がりやエモさに欠ける、地味なお話です。
今年しかない切実さがない分気は楽ですが、
諦めきれずだらだら続けてしまうという中途半端さとも紙一重です。
地味で平坦だからこそ、何かを達成するには楽じゃない厳しい道のりです。
実際私ももう5年以上ベスト更新すらできず、
今年もあかんかった、また来年、を繰り返しています。
2024年度もまさにそう。
目に見える制限時間がないからっていつまで繰り返す?
いつまで繰り返せる?
持ち時間が有限であることに変わりはありません。
だらだら続けて後悔することのないよう、そろそろ本気出さねば、
地味で平坦な道でも自らエモを爆発させて勝負をかけねば、
と思うこの頃です。
…そう、来シーズンこそは、きっと。
[直近の練習]
18km ぎり保てるペースで 4'37 /1km