ぼくはまだ君がすきだから
大抵の人に嫌われても、ぼくは一度好きになったら嫌いになれたことなんてないから。あぁ、あの人のここが好きだったし、思い出して切なくなるとちょっと損した気持ちになる。ぼくは欠陥だらけで、見掛け倒しのくだらない人間だけれども、あなたがみてくれたぼくは一体何が魅力的にみえていたのかな。
今どこで何をしているかがわかる人もいれば、何をしているかわからない人の方が多くて、インターネットでの人間関係の儚さや脆さを憂いたくなるときもあるけれど、在りし日が記憶にある限り、別に今も過去も未来も気にしなくていいんじゃないだろうか。そう思えば後ろ向きに生きていくだけの自分のことを少しはゆるせる気がする。
自分の愛着の不安定さゆえに、たくさんの人に精神的な苦痛を与えてきたし、憎まれるようなこともしてしまったから、自分はひっそりと生きていたいという気持ちを持ち始めていたけれど。あんまり関係ないじゃんねって思う日もある。どうせ、君らが関わろうとしない以上、ぼくから関わるべきではないという気持ちがあるし、たまに昔の連絡の記録とかが残っていると幸せな時間のことを思い出せたりするから、それで十分なんだよ。
最近、前にもまして不眠症が悪化したから眠剤の定量を増やしたんだけれど、記憶にないところで普段の自分ならし得ない逸脱行動がひどくなっていて困る。写真を消したり、知らぬ間にメッセージを送りつけていたり、言い訳はしたくないけれど、記憶のないうちにめちゃくちゃなことをしてもぼくは自分の行動に責任をとらないといけないから、できれば服薬後はスマホを寝所から遠いところに置いて寝るようにしている。
思い出が形をもっているかどうかについて、ぼくはものに強く依存することはないんだってわかってはいるけれど。形あるものが壊れてしまったとしても、記憶があやふやになってしまっても、執着という無形の何かがあることは自分にとっては救いになると感じている。自分という個体はあと数十年もしないうちに死ぬし、スマホだって二~四年に一回くらいの頻度で変えたり、データを保存するのだって無料ではないし、突然すべてのデータをロストするかもしれない。本当に大事なものがモノ自体だったら苦しいなと思う。
この文章を書くことは自分の苦しさを紛らわすための手慰みであって、元なんとかさんに読まれたいとはみじんも思わない。というか、読まないでほしい。読んでくれてもかまわないけど、君はどうせ何も言ってはくれない。
期待している自分というのは、どうしようもない。ぼくは好きになった人々のことを忘れられない。そういう生き物なんだ。名前をつけて保存どころの話ではない。自分の恋愛事情だけで光源氏とカス男バトルができるし、そんな自分を情けなく思う。あの人たちを幸せにしたかったけれど、いつも自分は無力さを武器に立ち回ってきてしまったし、そんなものをアイデンティティにしていると本当に一緒に同じ時を生きたいという人のことも大事にできなかった。
後悔はいくらあっても困らないというのが最近の持論になりつつある。切なさには一生涯浸っていられる予感がしているから、あの苦しい時間や悲しい時間と幸せだった時間をセットで独り占めにできるんだから、ぼくはあなたを今も思っているという現実で十分に妥協できてしまう。あなたはあなたの道を選んだし、ぼくはあなたたちにとってとるに足らない存在だった。本当に、ごめんなさい。
定期的に申し訳なくなって、どこかに謝りたいと思うのだけれど。生まれてきてごめんなさいって言葉と、頑張れなくてごめんなさいっていうのが自分の根本にあるらしい。ぼくは誰の事も強く深く思えるらしいけれど、それは自分の過去を愛しているだけであって、他者を他者の望むように、社会的に認められる形で愛することはできないし、やっぱり、この出来損ないはきっと何も為さずに死ぬのだろうと思う。
最後に親に「自分という子に望むことはあるか」と訊いた時、「犯罪者にならなければいい」なんて言われて、苦い気持ちで「ああ、そうならないといいね」と思った。
こんな自分がなんで醜態を晒し続けて生きていられるのか、本当にわからない。死ぬ勇気も使い果たした気分で、だらだらと生きている自分を寿命が殺すのか、不意に死ぬのか、完遂できるのか、自分にとっての終わりはきっといつでもこの幸せで苦しい世界からお休みをもらうようなものだと思っているので、どうでもいい。死後というのは死後になってからでないとわからないから、何かに縋るくらいなら、好きだった女や友にでも連絡をとろうとする方がよほど迷惑のわりに自分が得られる反応があって面白いに決まっている。
自分は恋人を信仰することで生きてきたけれど、今後そうすることがないように生きられれば少しはあなたのことが好きだったって伝わりはしないけれど、わかってもらえるかもしれないなどと意味の分からないことを思っている。気持ちがない触れ合いに意味はない。空しいだけ。
自殺や、過去の恋愛について考えるためにウェルテルは幸せ者だと定期的に思う。自殺の動機足り得る絶望を味わってなお死ねなかった自分と向き合いつづけるのはとても苦しい。死に逃げることをぼくは否定しない。死ぬことは恐ろしい、それでも、その先を生きていくことを考えることの恐ろしさをそれが超越したとき、人は死ねるらしい。
自分のことをなんだかんだ長生きするタイプだと思っていたりもするけれど、別にいつ死んでも、後悔はしないと思う。(君たちがぼくを選ばなかったように)自分がその人たちに対しての責任を持ち合わせない以上、この世への未練はないに等しい。隣にいる誰かがあなたを救ってくれる。隣にいる誰かがぼくを救ってくれている。
すごく陰鬱な気分で文章を書き始めると、今まで触れようとしていなかった気持ちが止め処なくあふれ出てくる。ぼくは君のことが好きで仕方なかったから、自分とつり合わないと判断して逃げるし、見放されるように動いてしまう。だから、ぼくのことは微塵も気にかけてないですって人たちをみると安心する。君のことを好きになったのはぼくだけだったと言えると嬉しい。ぼくは嫌いじゃないもの、君たちのことを。話したことや、行った場所、思い出の全てを憶えていられるから。
自分のことはちゃんと気持ち悪いと思っているし、はやく不可抗力的に死を手に入れられると嬉しく思う。書いていて本当に哀しくなってきたからやめることにする。
あいして、ぼくを選んでよ なんて歌っているけれど、実際のところ自分は愛されるに値しない人間だから、この歌は本当にからっぽの自分の歌でしかないなとひどく思った。選ぶ価値はマジでない。
これを収録していてこのゴミの塊みたいな文章がうまれた。もう録るの諦めようかな。全然上手く歌えないし。誰が一番とかどうでもいい。ぼくは誰の一番にもなれないから、誰かを一番とか言いません。
初心に帰って都合のいい存在として生きるようにします。