ゆめにっき 20220319
望郷
存在しない故郷に帰省する夢を見た。
最寄駅から、歩いて十二、三分、実家までの街並みは少し変わっていて、邪魔だよなこの家なんて思ってた家屋は取り壊されて駐車場になっている。こんなところに誰が停めるんだよ、と心中で悪態を吐く。何も食べていなかったらしく、歩きながらあちこち懐かしさに浸るぼくは、存在しないおにぎり屋のショーケースや、存在しない和食小料理屋でそばを啜る客を眺めてしまう。
故郷らしさを感じる景色は実在の道のりと少し違うけれども、本物よりも安心するようなつくりになっているから、起きてしまった今になると恐ろしい。
産まれて初めて住んでいた生家に着くと、そこには見慣れない名前の表札があり、当惑と共に我が母のことだから、また家賃滞納でもして家を追い出されたんだろうと思った。
もう、三年も連絡をつけずにいた、斜向かいの宅のおばあ様を頼ることに決めて、インターホンを押す。
こちらも表札が変わっていて、ぼくは自分の不義を少し後悔した。手紙の一つでも書こうと思う。結婚するから出ていくと言い残し、実際は先行きが見込めそうもなく、ヒモと飼い主のような関係に落ち着いてしまっているのだから、昔の恩人に便りを送ることもまた避けたい事だった。
昔のようによく通る声を聞いた時ぼくは生きていてくれて良かったと思った。おばあ様は米寿そこいらの年で、その娘さんももうすぐ定年ごろだから、持ち家とは言え引っ越してしまうことは十分に考えられた。今日のぼくはひどく言い訳がましい、故郷への帰還は逃避に向き合うことではなく、現在の問題からの逃避だというのが、とどのつまり無意識のようなものの真理と推測する。
ここから、ぼくの夢は創作を始める。かつてのように、門を開けて鍵の開いているドアを開くと、玄関におばあ様の母と思しき女性がいたのだ。便宜上、ひいおばあ様と書く。(年齢で言うと百歳から百二十歳ごろに相当するだろうから、間違いなく故人である。或いは、おばあ様の親族の一人だったのかもしれない)
旅の疲れか、少し窶れていたぼくは、それを取り繕うかのように好青年のように振る舞うことにした。ひいばあ様はメッセンジャーアプリの、絵入り定型返事ツールの購入にお困りの様子だったから、ぼくはその説明を買って出た。まさに夢というべき話だが、彼女は老年オタク女史というような人で、同じような趣味を持つ友人とは青地に白い鳥がアイコンのソーシャルネットサービスだけでなく、かつてのままのウェブサイトを使っていたりするようで誠に感心した。
おばあ様は一連の会話に嫉妬心を感じていたかもしれない、何か食べたいものはあるかとぼくに訊ねると早々とキッチンに引っ込んで行ってしまった。話したいことや訊いておきたいことを残したままにした罰だと感じる。
問題の解決後、宅に上がらせてもらうとぼくは必ず行っていた、おじ様の仏壇に線香をあげる間もなく居間に向かった。炬燵はダイニングテーブルに置き換わっていて、歳は離れているが姉のように慕っていた娘さんは珈琲を飲んでいた。
誰一人としてぼくを叱ったり、咎めたりはしなかった。ぼくは早々に崩壊した血縁者の絆よりも、実の家族ではないが愛すべきこの人たちへの憧憬を大切にしているが、一方で法的に家族ではないという自分の状態の複雑さを、おばあ様たちに問いかける勇気は持てない。
ぼくは家庭という無条件の肯定関係に憧れ続けている。しかし、その肯定に払う代償である家族であることの柵も経験し難いことであり、ぼくは血縁や親族という関係の一切を、実父と実母が存命にも関わらず、彼等の不義と愚かさにより、生まれながらにそれらを失っているに等しく、それらの縁の紐帯であることからも逃げ続けている。
ぼくの望郷とは、自己存在を赦されたいと願う強い憧れであると推察する。
家族だと思えない血族と、法的に家族ではない幼少時代の庇護者のどちらにも愛されていないかもしれないという恐怖は、これを読むあなたにはわからないかもしれない。親子の関係を取り持つのは鶏が先か卵が先か。
この文章はここで終わるけれど、ぼくの人生はもうしばらく続く……