ラーメン「1000円の壁」に思うこと
以前から思っていたことだが、タイトルの件について。東洋経済オンラインにて良い記事を見つけたので、これを機に書いてみようと思った。
「超人気つけ麺店」店主が日本を離れる切実な理由 "食べログ3.9"の名店を営むも「ずっと不安」だった | 井手隊長のラーメン見聞録 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)
食文化の発展、経済的な側面等、様々な見方はあるものの、やはり個人的に気になったのは「1000円の壁」についてである。海外では3000円や5000円で提供するラーメン屋がある中で、日本では経済的、心理的なものとして現れる「1000円の壁」があるためなかなか価格を上げづらく、利益が出にくい構造があるというもの。
※記事の写真は「つけ麺」であるが、ここでは「ラーメン」としておく。そんな私はラーメンよりもつけ麺派である。
確かに日本では「失われた30年」と言われる中で、給料は上がらず、むしろ実質賃金は下がるといわれる中、インフレが起き、スタグフレーションな状況となっている中、ラーメンが1000円を超え、1500円や2000円になるのは消費者としては厳しい。
しかし、物価高騰による値上がりがしているのであれば、ラーメン屋の企業努力はしてほしいという思いはあるものの、やはりラーメン自体も値上げはしてもらって良いと思うのが私の考えである。
なぜなら、値上がりしている中で「安く」提供するのであれば、どこかでそのしわ寄せがきているはずだからである。それが素材なのか、店長の収入あるいは人件費(賃金)なのか、設備費なのか等はあるものの、やはりなんでもかんでも「安く」というのは危険である。誰かがその安さのツケを払い、不幸な目にあっているからだ。そのため、ラーメン屋は値上げして良いと思うのである。値上げされたラーメン屋に、実質賃金が下がり続けれる日本人はラーメン屋に入れず、日本に旅行に来たお金に余裕のある外国人だけがラーメン屋に入れるという構図は想像に難しくない。
この考えは、ラーメン屋目線でいえば正しいように思えるが、日本人目線からすると屈辱的である。しかし、世は「資本主義」社会である。貨幣や資本の強さがものをいう世界である。残念ながら、経済成長を目指しながらも、30年間大した成果も出せない日本(労働者)の末路としては、1500円や2000円のラーメンが買えないのは仕方がないのではないか。むしろ、成果を出せない日本(労働者)のツケを払ってくれているのがラーメン屋の方々と思うと、なんとも言えない気持ちになる。
記事の以下の文章は、日本人が負けた祖国からの撤退という意味である。店主の経営手腕によるもの等ではないのは明らかである。
>従業員はなかなか集まらず、最低賃金問題につねに悩まされ、人を育てる大変さも常々感じている中、日本のお店1つだけで続けていく限界を感じたのだという。
私もラーメンをよく食べる身として、ラーメン屋の撤退や引退等は惜しい。ぜひ「1000円の壁」等といわず、1500円でも2000円でも値上がりしてもらいたい。ラーメン屋の方々にも経済的に恵まれてもらいたいからだ。そのラーメン代が払えないのは、単純に経済が発展していかない日本が悪いのであり、さらに言えば(いくらか屈辱的だが)給料が低いままの労働者が悪いのである。ラーメン屋がツケを変わりに払ってくれるのが間違いであり、代金が払えない労働者は、払えるようになるために賃金が高い企業にさっさと労働力を売り、賃金を上げれば良いのである。
とはいえ、「どこの企業も経済成長してない企業が多いんだから、そんなやすやすと賃金上げるための転職なんて出来ないだろう」という批判も聞こえてくる。また、非正規雇用の方等は賃上げや転職すら難しい現状もあるだろう。しかし、だからといって、ツケをラーメン屋が払うのはやはり間違いなのであって、インフレしたラーメンを買えないのであれば、そこから先は賃上げの働きかけを企業に対して行っていくしかないのである。要するに「インフレしてるのだから賃金を上げろ、働いてあげているのだから賃金を上げるのは当然だ。賃金を上げられないのは、大した売り上げも上げらない経営陣(企業)の経営が悪い。労働者は悪くない。」というスタンスをとるのだ。手垢のついた言葉でいえば「階級闘争」である。これは、正社員、非正規雇用問わず共通の発想であろう。
私も昨今労働組合に入ったため、賃上げの「いろは」くらいは学んでいくつもりだが、企業としては安い労働力が欲しいだけなのであるから、やはり賃上げ闘争は必要なことであり、それを忘れてはいけなかったのだなと最近思う。