日本の戦後と核
見田宗介の論壇時評『白いお城と花咲く野原』から、いくつかnoteに残しておく。本記事はその3回目。
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戦後日本のメタ権力 ー戦後思想の否定の仕方 (1985年6月27日)
<右手に核兵器をもつ女神>によってしか戦後の平和も民主主義もなかったのは"なぜ"か。日本人が自力で天皇制の呪縛から自己を解放することがなかったからである。戦後日本の数々の擬制の根源はこのことにある。
(略)
けれども、この"診断"と"処方"の間のずれを成型する地場それじたいは、日本人が自己の問題を、自己自身の手で解決しなかったことのはるかな応報である。
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安保反対運動は、白井聡によれば「戦後の記憶をもった本能的な市民運動だった」と、何かの書籍で述べていた記憶がある。
結局その時の運動は失敗し、現代へも後遺症として市民運動や市民的抵抗は影を潜めたままである。
天皇制は終わったが、戦後はアメリカを「天皇」に見立てた構造として、戦後を歩んでいくわけだが、敗戦国の日本としてはその道を歩むしかなかっただろう。
しかし、新興国ではどこも民族解放運動がおこったりするわけだが、日本では長続きしなかった。アメリカに勝るとも劣らない経済大国になってしまったため、解放運動を行う必要が無かったと錯覚したと思うが、それは今後どのような形で現れるだろうか。
広島、長崎で原爆を落とされた過去があるのに、その核に守られて平和があるのなら、これはおかしいことではないか。諸外国からはこのような日本をどのように見るのだろうか。
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