気候正義について考える
杉並区の区長、岸本聡子さんの所信表明。
全文が区のHPにアップされたので読みました。
https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/page/001/005/561/syosinhyoumei_202209.pdf
特に気になったのはやはり気候正義について。(以下抜粋)
言いたいことは最もであるし、岸本さんが正しく、そうあるべきだとは思います。ただ、少し考えてみたい。
「なぜ自分は気候問題に立ち向かわないといけないのか」
普段の生活が環境に悪いことがあるのは分かる。
ならばそれを改善するだけで市民としての自分は合格なのではないか。
制度を作っている行政を動かすために、市民が声を上げる。
企業(資本主義)が諸悪の根源であるから、企業に対話、あるいは対立し、声を上げる。
気候正義を掲げるのであればそうなるんでしょう。
しかし、自分は別に地球環境をよくするために生活しているわけではないし、使命を持ってるわけでもない。
気候変動の原因が分かっているのなら、さっさと行政や企業が腰を上げて取り組めばいいのではないか。
そのためにエリートは権力を持ち、物事をコントロールする力を持っているのでは。
・・・。
こういうストッパーを担う発想が無いと、気候問題に取り組んでも、いつか疲れてしまう。
気候問題はそもそも興味関心を持ちやすく、気候正義は一歩間違えれば「気候ファシズム」になってしまう強力な思想だと思います。
そう考える中、昨日の勉強会であったクリスティアナ・フィゲレス氏の「Stubborn Otimism(頑固な楽観主義)」という言葉は絶妙だと思う。
良い言葉ですね。
「気候市民会議」というのは、無作為に選ばれた市民と専門家が対話し、政策を作るものです。
仮に、自分が選ばれて、専門家の人と話す機会があった際に、なんて言うんだろうか。
自分「早くガソリンとかに炭素税を課税すればいいじゃないですか。
ただ、他方で消費税の減税等も大事だと思いますよ。
え?街を上げて市民で取り組む必要がある?
なるほど、そうですね。
でも自分残業とかもあるので、忙しいのでそんな余裕無いですね。
それを行うなら、まずは労働時間を1日5時間とかに制限して下さいよ。話はそれからで!」
みたいな感じで答えるんだろうな。
やはりまずは脱成長。
「グリーン成長コミュニズム」では駄目で、暇や考える時間を作るための「脱成長」が無いとやはり駄目です。