マスクがサルサになった話
28年前にスイスとの国境、ボーデン湖に接した南ドイツのコンスタンツという街でドイツ・ゲーテ機関主催の2か月間のドイツ語研修(ゾンマークルゼ)に参加したことがあります。
夏休みの間帰省したり旅行で留守にするコンスタンツ大学の学生がゲーテ機関に部屋を貸す形となるため、参加者は通常の学生と混じって学生寮に住まいました。僕が住んでいた"Haus T"にやたら明るくて、サルサを流して毎晩のように蝋燭を灯して食堂で踊るキムと名乗る学生がいました。
キムはドイツ語のほか、英語やフランス語のほか、スペイン語を得意とし、なぜか日本語も片言ながら多少のコミュニケーションを図る程度の会話ができました。本名はエアカンで国籍はトルコでしたが、ロマの出自で風貌が少しアジア人ぽいところがあり、はじめて住むヨーロッパで親しく接してくれるキムに親しみを抱きました。
なぜ日本語を知っているのか、と尋ねたところ、日本が好きでバックパッカーとして旅行しようとしたことがあり、そのために勉強したけれど、所持金が少ないという理由で成田で足止めを食らってしまった挙句、入管に収容されタイ経由で強制送還されたという経験がある、ということでした。
1992年当時、日本には多くの不法滞在者がおり、パスポートの色と所持金を見て入国の是非を判断していたという話は聞いたことがありました。日本の入国管理局を批判するつもりはないのですが、ある時、キムが自室に僕を呼んで見せてくれた写真には、入管の職員に殴打されて体中があざだらけになってしまった悲しそうなキムが映っていました(アムネスティに訴えるために撮影したとのこと)。
写真を見せられてその話を聞いたとき、大きなショックを受けてしまい、自分の祖国で友人が受けた仕打ちに情けないやら悔しいやら、様々な感情がこみあげてしまい、図らずも大泣きしてしまったことがあります。
コンスタンツには僅か2か月の滞在期間でしたが、それ以来、キムとクリスマスカードを欠かしたことはなく、東日本大震災の時にも本気でドイツに移住しろと電話をかけてきてくれたほどです。キムとは不思議な縁で結ばれた関係です。
キムは数年前に帰化をして、パスポートの色も当時とは異なっており、いまではドイツ風のジョシュア・ラファエルという名前を名乗っています。今ではミュンヘンでツアーガイドをしています。
新型コロナウィルスの感染拡大に伴うイタリアの医療崩壊をなんとかしようと、ボランティアで "ソリダイタリー"(「連帯(ソリダリティー)」と「イタリー」の複合語の造語)なるプロジェクトを立上げ、慢性的に医療用マスクが不足している医療従事者のために、医療用のマスクを送り届けようという活動をしていました(https://www.solidaritaly.com/english/)。
What' Appというアプリを通じて医療用マスクがあったらドイツに送ってほしい、という呼びかけがありました。ツアーガイドのお客様の日本人(かなりセレブな篤志家らしい)がその呼びかけに答えて、1個1900円もするという「EU規格・FFP2クラスのレスピレーター」なる本格的な医療用マスクを送ろうとしたそうです。しかし、航空事情を理由に世田谷の郵便局三箇所で受付を断わられてしまった、というので、僕が輸出の仕事をしていることを知っているジョシュアが僕に助けを求めて来たのは2020年4月14日でした。
世界的な感染拡大を防ぐために、航空便の数は極めて限られている上、宛先次第ではEMSは現地の郵便局で受付を拒絶されてしまうため、戻って来たり紛失してしまう危険性があるため、4月初旬の段階で国内の郵便局では小口配達のEMS(国際スピード郵便)は受け付けてもらえない状況にありました。
海外に小口の荷物を送ろうとする場合、郵便局を通じてEMS(国際スピード郵便)を利用する方法のほかに、民間のFedex、UPSやDHLなどのクーリエ(国際宅配便)を利用する方法があります。両方とも貨物の輸出であることに変わりはなく、税関検査を受けなければなりません。
クーリエはあくまでも一般貨物として取り扱われため、クーリエを請け負う民間業者が通関手続きを「代行」するのに対し、EMSは国際郵便連合の条約のもとで郵便物として取り扱われるため、郵便局が通関手続きを代行するという形ではなく、税関の出張所が設けられた「郵便交換局」という成田の施設で「直接」税関検査を受けることとなります。もちろん、EMSの場合には簡略化された税関検査という事情のために、価額や重量に制限がありますが、民間のクーリエに比べて割安というメリットがあります。ただし、多少時間がかかることもあるほか、今回のような物流制限が掛けられている場合には郵便局としての判断が働くために、貨物の受付を拒否されてしまうというデメリットがあります。
民間クーリエ便はドイツ向けは週三回きちんと飛ばしてくれているので、そこにプライベート扱いで送付できるかを尋ねたところ、書類ではないのでインボイスを付ければ送付できるということでした。運賃は7900円と割高でしたが、すでに世田谷の篤志家からは、ラファエルから伝達された私の住所あてに、一枚1900円の最高級品は届いてしまいましたので、民間クーリエ会社に依頼したところ、2週間後、ラファエルからは無事マスクが到着したとの連絡がありました。
ラファエルからは運賃を支払うので口座番号を教えろ、という連絡がありましたが、手数料もかかるだろうし、お金だけもらっても仕方ないとおもったので、サルサのCDでも送ってくれ、と頼んだところ、後日大量のサルサのCDが送られてきました。
たくさんありすぎてまだまだ全部聴き切れておりませんが、ラファエルとの友情を大切にした賜物と思っています。少しづつ楽しみに聴きたいと思っています。
(終わり)