見出し画像

子育てが楽になることばに出会う

それは、思いがけないタイミングだった。
まさか、こんなことが起こるとは思っていなかった。

世界中には、たくさんの素晴らしい名言がある。
わたしもそれらに触れてきたことはある。
「素晴らしい言い回しだな」「素敵な思想だな」と心に留めることはあった。
でも、それらが直接的に、そして自分の行動をこんなにも左右する、というところまでは到達したことがなかった気がする。

ことばは手段であり、きっかけである。
だからたったひとつのことばで人生が変わるわけがない、とどこかで思い込んでいたのだろう。
そのきっかけから行動するのは自分であり、行動できる自分でいることが大事だから、ことばを盲信しすぎるのは違うな、と。

でも、最近ふとしたタイミングで出会ったあるひとつの言葉によって、
わたしの心がすごく癒され、浄化され、心から信じられた体験をしました。
そんなエピソードを、書いてみます。

「この時間は、今しかない」ということば

「子どもたちがこんなにかわいい時期は、今しかないんだよ」
「その悩みも、今だけ!」
そういった趣旨の言葉は、今までも何度か聞いてきた。
そして、真実だということも知っていた。
なぜなら、生まれたてのふにゃふにゃしていた首も座っていない息子はもう居ないし、
パパ見知りをしていた1歳の頃の娘も、もう居ない。

子育てに関する悩みは解決したのかしていないのか分からないけど子どもたちの成長と共に状況は変化し、
次に新しい悩みが出てきたりもする。
「変化しないものはない、諸行無常とはこのことだ」を何度も感じてきた。

でも改めて、このタイミングで、また出会ったこのことば。
この時間は、今しかない」。
趣旨としては、「子育ては今を味わっておくことが大切で、それをしないといつまでも子どもに執着する親になる」というような感じだったけれど、
わたしが響いたのは、後半の内容ではなく、シンプルに前半で言われている、
子育て中である今を味わっておく」この部分でした。

わたしの日常には、宝物のような時間がたくさんあります。
2人の子どもたちと過ごす毎日、そして家族4人で過ごせる毎日が、とてもとても幸せに溢れている。

0歳の息子のかわいさよ。7か月になり、お座りも上手だし手づかみで離乳食を食べることができるけれど、まだまだ小さくて、愛おしい存在。
夜間授乳が大変なことも、
風邪を引くと1時間おきに鼻水が詰まって起きてしまうことも、
今しかないんだよなあ、と思うと息子がかわいくて仕方ない。

そして、3歳の娘のかわいさ。(つまりみんなかわいい笑)
赤ちゃんの頃とは違うかわいさがたまらない。
純粋にいろんなものを見て、疑問に思って、話しかけてきて、自己主張してきて、好きなものを宝物のように抱えている姿。
パパが「おばけいるよ」と言うと本気で怖がって泣いて、「おばけいないもん!」とわたしに助けを求めに来る姿。
わたしが息子のことばかりを抱っこしていると、「もっとお世話してよ~!」と甘えてくる姿なんかは本当に、
今しかない娘の姿そのものだと思います。

そう考えると、日々の大変さも悪いものでもないし、
娘の自己主張もおおらかに聞けるし、
息子の夜間授乳も辛いだけのものではないと感じる。
そうすると、わたしの心にも余裕が出来て、子どもたちとの時間を大切に過ごそう、と毎日を貴重なものとして見ることが出来る。

本当に、ここ最近すごく心が楽です。
…とは言いつつも、最近そこまで子育てに関する大きな悩みがあったわけではないけれど、やっぱり人間の脳の特性もあってか、
「無いもの」に目が行きやすかったのもたしか。
たとえば、「夜、満足に眠れないなあ」とか…「2人の子どもたちを抱えてワンオペでお出かけするって大変だなあ」とか。
大変なのは確かだけど、でもきっと、この悩みも数か月したらまた変わっていく。
時間の貴重さに改めて気づかされた気がします。

素敵なことばに出会うタイミングと、自分の心の健康状態

どうしてこのタイミングで「今しかない。だからこの時間を大切にしよう」と心から思えて、そして実践できて、
自分にプラスの影響を与えられることばとして胸に刻むことが出来たのか、
少し自分なりに考えてみました。

理由はいくつかありますが、
たとえば、ひとつめとしては「自分のやりたいことをやっているから」。
わたしは、いまとある事業の準備をしながら、既に走らせている子どもの居場所づくりの活動をしており、
毎日少しの時間でも、それらに関わる時間を確保した生活を送っています。
やっぱりやりたいことをやれる、というのは心の健康にすごく良いし、
心が整っていると入ってくるものもすっと入ってくるので、
それが理由としてはひとつあるかな、と。

ふたつめに、「自分を俯瞰する癖を付けてきたから」もあると思っていて、
それは「メタ認知」とも言いますが、わたしは学生時代に社会学に出会い、メタ認知を知り、そのおもしろさをずっと享受しながら生きてきたと思っています。
学者さんとか、もっと達観した人からしたら全然まだまだなレベルだと思いますが、このメタ認知がかなり子育てには有効だと思ってずっと使ってきました。

たとえば、子どもが癇癪を起しているときに、怒ってしまったとする。
そのときに、主観的に見たら「子どもが癇癪を起して、泣き声がうるさくて、それが嫌で怒った」となるところを、自分を俯瞰して見ると、
「なにに怒っているの?本当に泣き声がうるさいという理由で怒っているの?ほかに理由はない?昨日はよく眠れた?」
というように、もうひとりの自分が現実の自分に質問を投げかけるような状況に置くことが出来るようになります。
そうすると、「実は子どもに理由があって怒っているのではなく、ママである自分のメンタルや体調が原因だった」ということがままあって(というか、大半)、
見え方がまったく変わってきたりするのです。

そのようにもうひとりの自分から自分を見る、を癖づけていくと、
もうひとりの自分が「そうじゃん、今のこの時間って本当に素敵なものだよ!子どもたちと過ごせる日々が当たり前じゃないんだよ」って、勝手に度々伝えてくれるようになりました
それによって、今回出会った言葉がちゃんと腑に落ちて感じられた気がしています。
(「この人なに言ってんだ」って思ってる方、すみません。笑
分かる人にだけ伝わればいいです…)

子育てを楽しめる環境をつくり続ける

なので、
いまの時間はとても貴重なものであり、子どもたちと過ごす時間は宝物のように輝く毎日である、ということを伝えたいと思ってはいるのですが!
でも、こう思えるのはやっぱり心と身体の健康あってこそだと思います。
寝不足だったり、悩みがあったり、不安があったりするときはどうしてもそう思えないのは当然ですよね。
だから、子育ては頼り合いながら、自分の心をまず整えること。
そして、お天気も移り変わるのと一緒で、心が荒れてしまうことがあるのも自然だから、その自分を否定しないこと。

子どもたちとの時間は、時の流れと共に必ず姿を変えていきます。必ず。
だからこの愛おしさを思いっきり嚙み締められるような毎日を送っていきたいなと、心から思っています。

いいなと思ったら応援しよう!