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労務者と失対事業(#13 ニュース映画で現代社会を勉強しましょう)

あの頃の社会課題と放送禁止用語

政策ニュース映画には、こうしたマクロな社会変化の記録の他、地域の政策に関する記録という、ミクロな側面もあります。本来行政ニュースですので、インフラ整備や様々な社会設備、さらに教育や福祉などの政策広報がその内容なのですが、特に重要な点として、行政の政策課題が題材になっているという点が指摘できます。
政策ニュース映画には、当時の地域、社会が抱えていた様々な課題が記録されています。

その典型例が、この映像でしょう。恐らく政策ニュース映画の中で、最も深い問題提起となるものだと思いますが、今となってはテレビはもとより、映画館などでも流すことは難しいのではないのでしょうか。昭和昭和31年2月15日付け「建設の陰に働く人々」という題の1本です。
まずは映像を観ながら、特にナレーションに気を付けて聴き取ってください。聞きなれない言葉が出てきませんでしたか?

場所は中原区で、恐らく街並みからすると武蔵小杉近辺ではないかと思われます。道路の整備に携わる労働者の姿が映り、次のようなナレーションが流れます。

吐く息も凍りそうな冷たさにもめげず、朝早くから仕事に集まる失業対策の労務者俗に、●●と呼ばれる人々。ところが、最近、これらの人たちのあり方はあまり評判がよくないようです。そこで、その不評を何とか挽回しようと考えた、川崎市中原区200人の失対労務者たちは、昨年春から自分たちが行っている下水の土木工事に使うU字型側溝の自家製造を始めました。

このナレーションの中で、●で示されている部分には、どういう言葉が入るか、わかりますか?

ナレーションでは、「ニコヨン」と言っています。これは何を意味しているのでしょう。まず、これは差別用語として放送できない言葉です。おそらく現在は耳にすることはまずない言葉ですので、聴き取れない人も多いでしょう。

そもそも、この映像は、失業対策事業、通称失対事業と呼ばれている政策に関係する人々の記録です。終戦後、多くの人々が仕事を失いました。戦争直後の失業者数は、400万から600万人と言われています。
そうした人々が定職につくまで一時的に仕事を与え、生活保障をする目的で、国または地方公共団体が、実施した公共事業がそれで、主に戦後のインフラ整備を中心とした土木工事のような、単純労働が内容でした。

そうした労働者のことを、ここでは「労務者」と言っています。実はこれも放送できない言葉です。失対事業制度は、日本では大正末期から始まっていましたが、特に戦後処理対策として、昭和24(1949)年に緊急失業対策法が制定され、一般公共事業とは区別されて制度化されて行きました。
東京都の失業対策事業として、支払われる日雇い労働者への定額日給が、240円に決定されたため、これをもらう日雇い労働者を「ニコヨン」と呼ぶようになります。

ニコヨン

上の映像は、失対事務所の窓口から日給240円が支払われる様子で、皆が生きるのに大変だった時代の、瞬間を映したものです。今は、ニコヨンは「自由労働者」と言い換えられて使われますが、本来の意味は違います。

この制度は、昭和39(1964)年にオリンピック対策として改正されましたが、平成7(1995)年に、同法が廃止されるまで存続し続けました。戦後の処理は、つい最近まで続いていたのです。

この映像は、川崎市の中原近辺で、この失対事業に従事する労働者を記録したものです。この映像を見ると、いくつかの疑問が浮かんできます。

失対

考えてください:そもそも、「労務者」や「ニコヨン」は、なぜ差別用語とされたのでしょうか。そして、「最近、これらの人たちのあり方はあまり評判がよくない」のでしょうか。なぜ、「建設の陰の力となって働く」と言われているのでしょうか。さらになぜ、女性が多いのでしょうか。

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