「産業民俗学」への招待
衝撃の「川崎市政ニュース映画」
情報技術、情報化社会論を専攻してます。人文系中心の大学の教員ですので、長年基礎教養科目で情報系科目を担当しているのですが、教員も学生も工学系の領域には関心が薄いようで、おそらく学内では、パソコンの先生だと思われているんでしょう。ワードやエクセルを使って、請求書やら納品書の作り方を教えていると思われているでしょうね。
んなわけないだろ、昭和の短大かよ、とは言いませんけど…。
現代は、テクノロジーが社会を牽引して行きます。要するに、産業資本主義社会ではあるわけですが、製造技術であれ、エネルギー技術であれ、そして情報技術であれ、技術によって社会(と言うより、人々の暮らしと言った方が正確ですね)が変化していくという、サイクルは変わりません。
情報技術を教えているうちに、文科系学生の技術に対するスタンスがかなり気になるようになり、それは、技術崇拝か技術嫌悪かのどちらかに集約されるのですが、特に社会と技術の関係性にフォーカスを当てて研究してきました。専攻で言えば、情報化社会論とか、最近は情報哲学なんかがその視野に入ります。
宣伝です。ルチアーノ・フロリディという情報哲学者による大著で、余りにも難解な英語に泣きながら翻訳したやつです。
情報化社会論とか言うと、いかにも未来志向ですが、所詮産業資本主義の範疇ですから、資本の投下による技術開発と市場への提供、利潤の回収、そして振出しに戻るっていう、サイクルは、戦後社会と全く変わりません。あ、戦前は、1次産業が中心の農耕社会が社会の大半で、さらに自由意思で購買行動を行う市民が存在しなかったという意味では、本質的に社会のサイクルが違うっていうのは別にいいですよね。
要するに最近では、戦後社会、高度経済成長期に焦点を当て、工業技術の進歩による社会変化を研究しているわけです。
五年程前に、川崎市市民文化局市民文化振興室からの依頼で、川崎市市民ミュージアムと連携して、通称「川崎市政ニュース映画」と呼ばれる映像を分析する機会を得ることになりました。
これは、元々神奈川ニュース映画協会という団体が作成し公開していた、行政映画「神奈川県政ニュース映画」の一部で、神奈川県下の出来事を、取材してニュース映画に仕立て上げたものです。そのうち、川崎市の依頼によって製作されたものの総称が川崎市政ニュース映画で、昭和27年から平成19年までの期間に製作されました。
全部で、719本(ニュースNo.29~1347)、1本あたり約100秒(30秒~119秒)、合計再生時間が、19時間30分34秒にも及ぶ膨大な蓄積のある映像です。
川崎市政ニュース映画は、川崎市という都市部の、インフラを中心とした復興と経済成長の記録が映像化されたもので、特にテレビの登場以前、高度成長期に入る以前の社会の諸相を見ることができます。元々行政映画なので、娯楽というよりは、広報を目的としたもので、決して面白いという代物ではないです。
またメディア企業による制作ではないので、ドキュメンタリーとしての批評性のようなものも希薄です。淡々と、地域の中の政策の結果や概要などを記録したものでしかないわけで、余り面白がる人はいないでしょう。
最も古いもののうちの一つ、昭和27年4月に上映されたものが、例えばこの一遍です。30秒ほどの映像が、5,6本まとまって、映画館で本編の前などで、上映されたようです。
既に授産所という言葉も死語に近いでしょうし、映像も大した起伏がないもので、これを見て面白いと思う人はまずいないでしょう。
これらの映像は、「川崎市映像アーカイブ」というのサイトに纏めて管理されています。
実はその後川崎市とは縁が切れてしまい、元々横浜の大学ですし、川崎市には縁も所縁もないってこともあるかもしれませんが、行政の場合は担当者が変わったりすると、何もかもが変わります。
川崎市は、市政100周年に向けて、これらを懐かしイベントに使おうと考えているらしいのですが、そんな三丁目の夕日レベルの扱いがされるような史料ではないです。とてつもなく貴重なものであるのは間違いないのですが、この価値を理解するためには、相当なリテラシーが必要です。
例えばその中の、おそらく恐ろしく難解な映像がこれでしょう。
昭和30年1月に上映された「電源開発貯蓄二千万円突破記念婦人の集い」と題されたもので、女性が着物姿なのは、時代を感じますが、そもそも電源開発貯蓄ってわかりますか?、さらにこの中に、非常に有名な女性が一人映っているのがわかりますか?
まず、よく残してたなと思うほどの映像です。この価値は、おそらく行政にはわからないでしょうね、喧嘩売ってますけど…
今でも根に持っていますが、某県の大学連携の事業公募で、民間の記録と証言を集めて、市民アーカイブスを構築する事業の提案をしたことがありますが、その際に担当の課長が「住民の思い出に出す金はない」と吐き捨てたのをしっかり覚えています。
川崎でも、この映像に加えて、当時の世相を記憶している住民のインタビューなどを企画して実施までしたのですが、結局はただ働きでこのプロジェクトも行政側の方針変更で頓挫しています。インタビューさせていただいた方の中には、既に鬼籍に入られた方もあり、何より貴重な市政の記録だと思うのですが、全くお上ってのは…
その後のリサーチで、日本全国の基礎自治体、広域自治体でも、相当数の行政映画が作成されていたことがわかって来ます。川崎市の分はデジタル化も済んでいるので利用はしやすいのですが、他にも最古の映像が残る茨城県政ニュースや、防空壕の始末とか市民レベルの戦後処理が記録されている浜松市政ニュースなど、貴重なものが相当数残されています。
それらを「政策ニュース映画」と総称しています。
概ね大空襲の被害地域に、こうした政策ニュース映画は多く残されています。但し、地域によって扱いに温度差があります。秋田市などは現代風のBGMを付け加えてアレンジしてありますし、東京都にも膨大な蓄積があるのですが、江戸東京博物館でしか閲覧はできません。京都市に至っては、所在はわかっているのですが、何も策が行われていないので、劣化するままになっていると聞きました。なんでも、京都では戦後は歴史には入らないとのことですが、まぁさもありなんという。
noteのマガジンで、この政策ニュース映画については、細かく分析、解説したものを連載中です。ご参考までに。
ニュース映画とその時代
ニュース映画自体は、自分自身もリアルタイムに映画館で観た記憶もあるし、現在でも懐かし系の番組などで、しばしば目にすることもありますね。しかしこの行政映画(政策ニュース映画)自体は、かつて映画館で目にしていたのかもしれないのですが、全く記憶には残っていないです。子供には面白くもない内容だということもあるかもしれません。
この政策ニュース映画は、全ての映像が、今まで目にしていたニュース映画とは、本質的に違うものなのです。正直言って、まずその内容と量自体に圧倒されましたた。大げさではなく、とてつもない衝撃を受けたのです。
内容的には、行政による施策の概況を取り上げたもので、そこに映っているのは、市民そのものの姿です。その点が、他のニュース映画と本質的に違うところでしょう。着物姿の婦人のなんだかわからない会合なんて、全国紙レベルで見れば、ニュース価値など皆無に近いでしょうし。
高校では、殆ど現代史、特に戦後史は学ばないようです。受験に出ないということに加え、取り上げるのが難しいことも多いのでしょう。それこそ、縄文弥生から日本史を学んでいくと、太平洋戦争の終結辺りで時間切れになってしまうなんてことも背景にはありそうです。
自分自身もそうでしたが、学生さんの昭和史、戦後史の知識の無さは、ちょっと致命的だなと思ったりします。
例えば、今年は昭和何年ですか?
せんせー、すでに平成も終わってます、ボケちゃったんですか、的なリアクションをもらったことがありますが、こういうやつは張り倒したいです。
戦後史、特に高度成長期を理解するために重要な文献があります。
この本は、美化したり懐かしがったりせずに、この時代を客観化し、分析した、学術的にも素晴らしい内容です。
最近は、夕日のおかげで、昭和30年代がブームになっています。文献名を挙げるのが気になりますが、例えばこんな感じで、「あの頃」を礼賛するのがその常です。
戦後から高度経済成長時代を経てバブル期直前までの日本社会は、ほとんどの人にとって希望にあふれた社会であった。誰もが安定感をもって仕事に励み、将来の生活設計も可能だった。
「希望格差社会」, 2004
こうした「人々は温かく、みな未来に希望を持って生き生きと生きていた」といったイメージはまず常套的なもので、どうかすると平成生まれの学生もこんな感覚で当時を捉えていたりします。
その逆に、現代社会が如何に悲惨で失敗した社会なのかを強調するものもたくさんあります。
(現在では)多くの若者がフリーターを続けながら自分らしさや好きな仕事を求めるがままならず、いつまでも正業に就けず、固定的な低階層を構成する。「下流社会」, 2005
今後予想される社会は、個々ばらばらの社会である。誰もが競争に勝ち抜くために、先手を打つ形で回りの相手を軽蔑したり軽視したりするのである。学校でも会社でも、人は自分の幸せだけに関心を持ち、みんなで支え合う農耕社会的な要素をすっかり忘れてしまうのだろう。「他人を見下す若者たち」, 2008
最近は戦後史を自虐史観とか言って、否定するような言説もありますが、これなんか、結構な「自虐社会観」ではないでしょうかね、もちろん皮肉ですが。俺ら、どんだけ悲惨な社会に生きてるの、であの時代がいかに素晴らしかったの?
昭和31年に生まれた自分には、どちらも嘘くさい言説にしか思えないのです。どの時代でも、大変でしたし幸せだってありました。強いて言えば、国が戦争をしていないという点が、その根本にあるのは間違いのない話です。
吉川洋先生は、そんな脳内物語に対して、有無を言わさない事実と分析で時代の真実を明らかにします。
今日我々が、日本の経済・社会として了解するもの、現代日本人をとりまく基本的な生活パターンは、いずれも高度成長期に形作られた。
高度成長は、日本という国を根本から変えた。
高度成長は、まさにこうした時代区分(平安、鎌倉、江戸など)に匹敵するほどの大きな変化を、日本の経済・社会にもたらした。
高度成長がもたらした変化に比べると、70年代以降の変化ははるかに小さい。
これほど大きな変化が、「昭和」という一つの元号の3分の1にも満たない短い期間、わずか6000日の間に生じたことは、考えてみれば驚くべきことである。
1950年代初頭の日本は、今から見れば、何ともつましく、古色蒼然とした社会だった。
高度成長,吉川洋,中公文庫
高度成長期に関しては、もうこれ以上の表現はいらないでしょう。
技術開発を主軸として、資本投下された製品が消費者に対して提供されていく社会のサイクル、つまり産業資本主義として確立していったのが、昭和30年から始まる高度成長期の時代だということなんです。
特にその時代を特徴づけるのは、自由意思によって消費行動を行い、さらに生産活動に従事する一般大衆、消費者の登場です。団塊世代を代表とする、戦後生まれで昭和30年代に幼少期を過ごした方は、多かれ少なかれ、モノによって幸せになるという原体験を持っています。ですので、キャラメルの箱とかパッケージとか、そういう日常的な製品のコレクターになるケースが多いようです。
昭和期の研究とコレクションでメディアにも登場される某氏などはその典型で、ちょっとした知己を得ていたので、会話したりするのが興味深かったのですが、昭和30年代の礼賛を否定したら、Facebookから全て外されてしまいました。あの時代のイメージは、彼らにとって強固なもので、自分のアイデンティティにまで昇華しているのかもしれません。
吉川先生の指摘のように、自分の意志で消費活動を行う、一般大衆の存在こそが戦後社会を特徴づけたわけです。社会の牽引車とも言える、一般大衆の姿が、政策ニュース映画の中に記録されているという点が、他のニュース映画とは本質的に異なった点なのです。普通の人の日常は、ニュース価値なんかありませんからね。
昭和32年7月に上映された「町の有線放送」という映像を見てください。
場所は「川崎市の西北端にある菅町」ということですが、現在の多摩区菅にあたります。「多摩川桃、梨の名産地です。」と紹介されます。
場面が切り替わると、ちゃぶ台を囲む家族が映ります。
宮本常一などが記録した、戦前の農家そのものの佇まいの、決して豊かには見えない居室に、祖父、祖母から二人の孫まで、三世代が映ります。ここに、母親は映っていないのに気づくでしょうか。なぜ、母親が映らないのでしょう。
おそらく家事をしているのでしょう。これは、戸主と家督を譲った隠居を中心とした、旧来の家族の姿と思われます。こういう家のありかたに入り込めなかった、次男坊以降や娘たちが、集団就職を機会に、家や故郷を捨てて、都市部に向かって大移動していくのが、高度成長期であって、三丁目の夕日には、背後のこういう生々しい事情があったはずです。
例えば自分がこの家の次男だったら、家族と離れるのは辛かったろうけど、家を中心とした田舎のしがらみのようなものから自由になって、上野駅に降り立った時には、相当な高揚感とか解放感のようなものがあったように思います。都市部に移ってきた農村の次男三男や娘たちが、家督ではなく、純粋に愛情で結婚して作ったのが、近代家族です。
川崎の政策ニュース映画には、地方から集まってきた人々の、素に近い姿が記録されていて、映像の本当の価値はそこにあると思っています。
もう一本、昭和33年の8月に上映された、「工業青年の学級」という映像があります。個人的には、ここに映っている一人一人の、この後の人生が気になるくらい、気に入っている一編です。
意外に思われるでしょうが、川崎市は社会福祉では他の地域に対して一日の長があり、こうした社会人向けの教育制度である成人学級は、川崎市が日本で初めて開校したものです。
この映像では、当時の町工場の機械や働く人々の姿が記録されています。 集団就職で川崎に来たと思しき、ほぼ少年のような工員さんの姿は、もうそれだけで何かの物語を感じさせます。
この人は、このあとどういう人生を送ったのでしょうか。もしご健在なら80代位でしょう。遊びたい盛りだろう15歳の少年にとって、この映像に残っている日々は、どういう思いだったのでしょうか。
これを安易に懐かしいとか言ってはいけないと思います。こうした映像に残る市井の人々の生活や思い、人生に思い至って、初めて戦後社会が分かってくると、僕は信じてます。三丁目の夕日の実写版って思うのは勝手だけど、そんな程度のものじゃないんだよ。
川崎市は、京浜工業地帯の成立に合わせて、日本の工業都市の中核となって行きます。それはまさに高度経済成長期の牽引車とも言える地域として、多くの資本や人がそこに集中して行きました。
ですから、川崎の市政を記録したニュース映画は、この時代の社会変化を捉えるための恰好の素材です。北部にある農村から、南部港湾地帯に至る工業地帯まで、家族形態の変化やインフラの整備前における人々の活動、さらには地方から集団就職などで都市部に移動してきた若い労働者の佇まいや、彼らに対する行政による政策の試行錯誤の姿等々。
懐かし系のフィクションでは絶対表現できないような時代の空気とともに、そこに映っている決して有名人ではない、普通の市民達の日常の姿など、そしてそれが戦後の復興期から高度成長を超えて蓄積しているということ、政策ニュース映画の価値は大変高いものです。
川崎市だけではなく、各地に残る映像を発見しこうしたニュース映像を分析しいく過程で、ある仮説に辿り着きました。
こうした、市井の人々を対象とする研究領域に、民俗学という学問があります。近代化以前の社会での民間伝承を史料として、伝統的生活様式や社会形態を明らかにするもので、前近代から近代を対象にした、多くの研究者、実践者による素晴らしい蓄積があります。
政策ニュース映画で見る人々の営みは、終戦から75年も経た今では、既に現代社会とは全く異なった世界の様子にしか見えません。戦後成立していった、現代社会を支えている産業という大きなシステムが、人々にどういう影響を与えてきたのか、その事実が記録されているわけです。
ここから高度成長期という大きな時代の変化を超えた今となっては、この映像に残るものは既に、十分民俗学の対象に成り得るのではないでしょうか。
戦後期の社会や市民の変化を対象に、政策ニュース映画や広報誌などを基礎資料とした、産業を基軸とした民俗学的な手法として、産業民俗学(Industrial folklore studies)という研究も、成立し得ると考えています。
もともと民俗学は、村落を中心に対象化してきており、都市化を中心に戦後社会を対象とすること自体、民俗学としての在り方と矛盾するという指摘もあります。
実際に「都市民俗学」という研究もあったようですが、一般的な認知がなされないまま、なんとなく終息していったようです。
そもそも民俗学は、科学とは程遠い民俗を対象にするわけですから、学問として体系化がし難いのは間違いない話です。自分も含め、自称民俗学者っていうのも結構いそうですし。
ともすれば、伝承される怪異談や不思議な話などが、民俗学の対象だと思われている節もあります。
例えば、「21世紀の民俗学」について提唱する意見もあったりします。
こうした民俗学の「主流」の根底には、言うまでもない「平地人を戦慄せしめよ」という強烈な言葉と物語があって、民俗学者たちは、どうも自分の「遠野物語」を作り上げようとしているように思えたりするのです。
もう一度、工場の映像を見て欲しいです。
昭和33年、東京タワーが建築され、マイケルジャクソンやマドンナが生まれた年に、川崎の小さな町工場で、地方から上京してきて、旋盤加工などの仕事に就いていたある少年の物語が、オシラサマやマヨイガの話よりも価値のない、魅力のないものだとは、決して思いません。
そのナレーションにはこうあります。
「今、60名の青年たちが一日の勤労を終えて疲れも厭わず、希望に燃えて一心に勉強していますが、この学級は働く若人の福音として、その成果が期待されています。」
あの少年がその日に感じていた「働く若人の福音」は、工業化社会の成立とともに、都市のそこここで生まれていた、小さな物語であり、少なくとも自分は、これを通してあの時代を知りたいと思うし、次の時代にも伝えていく必要があると思っています。
僕は、産業民俗学者(Industrial folklore Scholar)と自称することにしています。
※トップ画面の写真は、昭和33年頃に撮られたもので、ある精糖会社の工場で働いていた方の個人アルバムの中の一枚です。古書店からまとめて購入したもので、工場の祭りの様子らしいです。チャーチル、ネール、アイク、岸という、今見ると非常に微妙な政治家の装飾を付けた自動車パレードの模様です。
こうした昭和2,30年代の個人写真は、ここ数年猛烈な勢いで、古書店やオークションサイトなどに出店されるのが目立ちます。おそらく、ご本人が鬼籍に入られて、遺族がゴミとして処分するわけにもいかず、そういうところに持ち込む例が多いようです。
残念ながら、写真だけを見ても、何もわかりません。この写真を撮影された方が、ご健在のうちに写真を見ながらインタビューをしたかったと、いつも思います。
Facebookで、シニアのインタビュー記録を細々とまとめています。川崎市のインタビュープロジェクトが立ち消えになり、さらに感染症の影響で、シニアに接触するのが困難になってしまいました。
しかし市政の人々の記録は、誰かが意思を持って残さないと二度と戻りません。「老人が1人亡くなると図書館が1つ消える」、これはどの国でも同じでしょう。このプロジェクトが再開できる日を待ち望んでいます。
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