ニュース映画史・政策ニュース映画篇(#4 ニュース映画で現代社会を勉強しましょう)
ニュース映画史(政策ニュース映画篇)
戦後から高度成長期に掛けて、地域の復興と発展の記録のために、各地域で盛んに記録映画が作成されていきました。戦後の地域記録映画は、大きく、新聞社、映画会社等のメディア企業によるものと、自治体自らが製作したものに大別できます。自治体側による地域記録を、「政策ニュース」と総称しますが、それらはさらに、自治体が内製するものと、自治体が発注して企業が製作するものに分かれています。
政策ニュース映画は、主に昭和25(1950)年前後から作成され始めており、昭和30年代後半から40年代に掛けて、東京オリンピック前後あたりが全盛期だったと言えるでしょう。テレビの普及によって、映画が完全に娯楽のものとなって、報道の役割を失ってから、ニュース映画自体は衰退して行きました。例えば、大手の日本ニュースは、昭和55(1980)年から公開頻度を3週間に1回に変更し、平成4(1992)年に終刊しています。政策ニュースも、それに合わせるように、自治体のテレビ番組やWebニュース等に移行して行きました。現在見ることが出来る、戦後最初期のものは、昭和23(1948)年度の茨城県政ニュースで、最後のものは、平成19(2007)年の神奈川県のものです。
製作主体は、広域普通地方公共団体(都道府県)単位のものが多く、基礎的地方公共団体(主に市区)レベルでは、県単位で作成されたものの一環として、管理されているものと、市レベルで独自に製作されたものがあります。市区レベルの全体像は把握できませんが、現在ネット等で公開されているもので言えば、神奈川県横浜市、川崎市、山形県山形市、愛知県一宮市、刈谷市、岡山県岡山市、静岡県浜松市などのものがあります。どちらも県単位での製作がなされていた地域であり、神奈川、岡山、静岡などでは、製作会社も同じです。また愛知県一宮市、刈谷市は、県とは別に独自に製作しています。
さらに県単位で作成されたという記録すら発見できない地域もありますが、その場合は、新聞社等のメディア系企業による政策ニュースが作成されており、映画館では主にそちらが放映されたようです。
以下の図は、地域の名称を持って作成された政策ニュース映画を、何らかの形で公開あるいは所在を明らかにしている自治体とその管理概要を整理したものであす。戦争時に空襲被害が激しかった地域に、多くの記録が残されているという点から、当初は復興の記録としての性格が強かったことが推定されます。
考えてください:大空襲の被害地域で、政策ニュース映画はなぜ盛んに作られたのでしょうか。その地域に共通する特徴には何がありますか?
政策ニュース映画自体は行政資料ですが、公文書には該当せず、行政刊行物として扱われています。保存管理に関する規定は制定されていないので、制度的な管理体制はまだ不十分であると指摘されていますが、政策ニュース映画もまさにそういった状況にあります。
特に、大衆メディアが、映画からテレビに移行していく時代においては、過去の映画フィルム媒体が余り顧みられることはなく、その時代に劣化、破棄されたものが少なからず存在するようです。
20世紀後半頃から、急激に様々な情報のデジタル化が進み、行政の情報発信がネットメディアにも対応するようになって行き、それにあわせるように、アナログフィルムによる記録であった過去の政策ニュースが、デジタル化されWeb等によって公開されることが多くなって来ました。
少なからずそこには、昭和30年代を中心としたレトロブームの影響もあるでしょう。多くの政策ニュースが、「懐かしの」と冠言葉が付けられているのも、まさにその表れです。