時代の記録としての価値(#11 ニュース映画で現代社会を勉強しましょう)
時代の記録としての価値
このように、政策ニュース映画は、昭和20年代半ば過ぎから、地域の復興、発展の行政記録として撮影され始めました。その時代は、戦後の復興期から高度成長期と呼ばれています。
その時代には、戦前とは違い、民主主義と自由主義経済体制の元で、自らの意思で経済活動を行っていく、一般市民、大衆という社会階層が出現し、社会を担っていきます。
特に、時代的に言えば、前述のように、日本の社会経済が大きく変貌を遂げていった、昭和30年代から始まる、高度成長期の記録であるという点に大きな意味があります。高度成長期、あるいは高度経済成長期とも呼ばれますが、概ね昭和31(1956)年から昭和48(1973)年までの間、実質経済成長率が約10%以上を達成していた期間を示します。1950年に勃発した朝鮮戦争による特需景気が切っ掛けで、消費が拡大し、電力、鉄鋼、海運、石炭への設備投資も拡大して行きました。神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気という4つの好景気によって支えられました。昭和31年に出された「経済白書」では、有名な「もはや戦後ではない」という言葉が使われ、流行語にもなりました。そこでは、「戦後復興から近代化」への移行が必要だと指摘されており、以降の社会、経済はそういった方向にシフトして行きます。
読んでください: 以下のリンク先にある昭和31年経済白書を読んでみてください。どう感じましたか?
貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。
この経済白書は必読ですが、その中に「トランスフォーメーション」という言葉が出てきます。近年、デジタルトランスフォーメーション(DX)という言葉がバズワード的に使われましたが、既に昭和31年の時点で使われている概念で、明らかに今の社会はこの時代の延長線上にあるということがわかります。
近代化--トランスフォーメーション--とは、自らを改造する過程である。
端的に言えば、今私たちが暮らしている社会の基本的な構造が成立して行ったのがこの時代です。高度成長期を知るための基本文献である、「高度成長(吉川洋)」(中公文庫)では、「1950年代初頭の日本は、今から見れば、何ともつましく、古色蒼然とした社会だった。」と指摘しています。
このように、社会の姿が変化していく過程が、政策ニュース映画で最も価値のある部分だと思っています。「高度成長」では、あの時代のことを以下のように述べています。
高度成長がもたらした変化に比べると、70年代以降の変化ははるかに小さい。今日我々が、日本の経済・社会として了解するもの、現代日本人をとりまく基本的な生活パターンは、いずれも高度成長期に形作られた。高度成長は、日本という国を根本から変えた。(中略)
高度成長は、まさにこうした時代区分(平安、鎌倉、江戸など)に匹敵するほどの大きな変化を、日本の経済・社会にもたらした。(中略)
これほど大きな変化が、「昭和」という一つの元号の3分の1にも満たない短い期間、わずか6000日の間に生じたことは、考えてみれば驚くべきことである。1950年代初頭の日本は、今から見れば、何ともつましく、古色蒼然とした社会だった。
政策ニュース映画には、そうした社会の変化が、地域の住民を中心に記録されており、市民社会、大衆社会の実相を、映像としてみることができます。
今、私たちが暮らしている社会は、高度成長期に作られた、そう断言していいのです。そしてそれはたかだか60年ほどまえの出来事で、まだその時代を体験している方々から直接いろいろ話を聞くこともできます。しかし残念ながら、当時の状況では、一般の人々が、映像はおろか写真を撮影する機材を所有するということが、大変に難しかったため、社会を作り上げていった人々の記録は余り残っていません。
政策ニュース映画が、市民を捉えた、唯一の映像記録と言っても過言ではありません。次には、実際のニュース映画から、あの時代の特徴を示す典型的な映像を紹介しましょう。