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無軌道電車(#7 ニュース映画で現代社会を勉強しましょう)

無軌道電車

昭和1桁あたり生まれの方なら確実に知っていると思います。無軌道電車とは、トロリーバスのことです。と言っても、トロリーバス自体も通じないかもしれません。乗ったことのある方は、もう余りいないのではないでしょうか。道路上に張られた架線から電気を取ってエネルギー源として走るバスで、路面電車、いわゆるチンチン電車とバスを合わせたような交通機関です。
トロリーバスは現在、長野県と富山県を結ぶ立山黒部アルペンルートでしか運行されていないようで、国内の市街地では、見ることができません。

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トロリーバスは、法令上は無軌条電車と呼ばれ、鉄道事業法が適用されることになっています。実は当初、無軌道電車と呼ばれていたのですが、「無軌道」という表現が余りいい印象が無いということで、無軌条電車と呼ばれるようになったとされています。この映像では、はっきりと「無軌道電車」と表現しますので、貴重な記録と言えるでしょう。

トロリーバスは、軌道が必要ないので費用が掛からず、また工期も必要としないため、戦後の復興期に都市部で次々とトロリーバス路線が開業して行きます。しかし、架線の下でしか走れないために、交通量の増加とともに、走行が困難となって行ったため、路面電車と同じように、廃止されて行きました。今はもう国内の市街地では、見ることがありません。

トロリーバスに乗った経験のある方は、もう余りいないのではないでしょうか。あるご老人が、雨の日に社内で車掌さんにお金を払うときに、よくピリッと電気で痺れたものだとおっしゃってました。軽く感電してるわけで、結構驚くような話です。路面電車は、ノスタルジックな交通機関として取りあげられることが多くありますし、まだ大塚方面では見掛けることもできるのですが、トロリーバスに関する情報は、余り無いのが実情です。

戦後最も早く開業されたのは、川崎市の昭和26(1951)年3月で、東京都は翌昭和27(1952)年の5月です。川崎市にとって、いち早く開業したトロリーバスは、復興のシンボルでもあったのでしょう、昭和27年、開業の翌年には市政ニュース映画に登場し、以降も昭和2,30年代に掛けて、3回ほど登場します。

川崎の駅前から日立造船に向かうトロリーバスは、「昭和32年02月20日 伸びる市民の足」で、映ります。

川崎のトロリーバスは、京浜工業地帯の発展と共に多くの通勤客を運びましたが、交通事情の変化、特に大型バスの開発が進んだことにより、昭和42(1967)年に、市電より一足早く全廃されてしまいます。都市部で、最後に廃止されたのが、昭和47(1972)年の横浜市交通局のトロリーバスでした。既に45年以上も前のことです。

一部車両は、横浜市営トロリーバスに売却されますが、高津区にある二子塚公園に100形104号が保存されます。トロリーバスが保存されているのは珍しいケースですが、その様子も、市政ニュース映画に記録されています。
昭和43(1968)年10月22日付「熱意でみのった児童公園」で、廃止の翌年に児童公園の開設に際して、車体を子供たちの遊び場や集会所に流用したとされています。

当初は廃物利用的なニュアンスだったようですが、現在はトロリーバスの記録として保存されているようです。トロリーバス自体、パンタグラフが付いたバスですので、端的に言えば、路面電車よりは個性があるとは言い難いかもしれません。そのため、余りノスタルジアの対象にもならず、記録も余りありませんが、川崎の市政ニュース動画には、このように当時の姿がはっきりと映っています。

これは都市部の記録だからこその貴重なもので、他の地方の政策ニュースでは、余り見ることが出来ません。

 



それらに関しては、この後、インフラの整備のところで、もういちど触れます。

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