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くたびれサラリーマン、ミドルエイジクライシスになる。そして、「脱出ゲームと考えれば楽しくクリアできるんじゃない?」の境地に達す。(2話完結の前編)

※注意※
はじめにお断りしておきます。このnoteは、すべて素人芸です。
中年の危機は、本当に苦しいです。本当に苦しくて苦しくてたまらない方はお医者さんに掛かってください。これを読んでいる場合ではありません。
素人芸は、用法容量を守ってお読みください。
ただ。ただ、それでも。たった一人でもこれを読んで救われる人がいるとしたならば、そんなに嬉しいことはありません。
コメントなどいただけたら、全力で読みます。 (やっさんより)

振り返れば、そこに、虚無。

初めてnoteにアカウントを作ってから、早1年が過ぎようとしていた。オリンピックが延期になった、2020年。8月。新型コロナウイルスで世の中が右往左往していて、世間は「ニューノーマル」という言葉に埋め尽くされて、窒息しそうな空気をまとった夏だな、と思った。

そんな夏に、僕は突如恐ろしい虚無感に襲われた。あまりにも、それは突然、僕の肩をたたいた。「頑張ってやっている目の前の仕事、何の意味があるんだろう」と。そりゃあ、部下もいるし、家族を食わせなきゃいけないし、キャリアを伸ばすには、頑張らなきゃいけないし、そのあと評価されなきゃいけない。そうやって、18年の社会人生活をやってきた。いまさら、舞台をおりるわけにはいかない。そりゃそうだ。でも、そんないままで心の拠り所にしていた「会社で評価されること」が、あまりにも意味がないように見えてしまった。もう理屈じゃないレベル。震えるわー。

「ああ、これが噂の鬱病の入り口なのか」とも思ったけど、そこは得意のGoogle先生で調べてみた。「"アラフォー男子 やる気がでない 虚(むな)しい” で検索っと・・・ほうほう、ふむふむ」。そこで、突き当たった言葉が「ミドル エイジ クライシス(ミドル ライフ クライシス)」という言葉だった。

ミドル エイジ クライシス、はヤベー奴

では、「ミドル エイジ クライシス」とは何だろう。Wiki兄貴の出番です。

中年の危機とは、中年期特有の心理的危機、また中高年が陥る鬱病や不安障害のことをいう。ミッドライフ・クライシス(Midlife crisis)の訳語であり、ミドルエイジ・クライシス(Middle age crisis)とも表記されるが、 英語圏ではMid age crisisのほうが一般的である。
(出典: Wikipedia 「中年の危機」。以下出典は同じ)

ほうほう、「中年期」ってのはあってる。「うつ病や不安障害」ってとこまでは行ってない。幸いに。
虚無なのだ。虚しさ。もう少し読もう。「中年の危機の要因」というセクションを見てみると・・・

加齢による身体的変化
中年期には体力・運動能力の低下に加え、生活習慣病の罹患、性機能の低下や閉経、更年期障害といった身体的変化を体験するが現代医学の進歩により、回避(老化防止)や防止などこれらの改善方法がいくつか提示されている。
家族ライフサイクルの変化
中年期の女性の心理的問題には子離れに伴うものが多い。夫婦共通の目標を見失うことで、父親・母親という役割によって成り立っていた夫婦関係を再確認する欲求が高まる。また、老年期の親の介護や、死別し残された親を引き取るなど、家族構成の再編成を迫られて危機が表面化する場合もある。
職場での変化
新技術の導入、年功序列制の揺らぎといった職場環境の急激な変化や、出世や能力の限界が見える挫折体験など。
中年期にはこれらの問題が一気に増え始める。人生前半期では獲得的・上昇的変化であったものが、中年期には喪失・下降的変化として体験される特質がある。中年期の変化によって生じる臨床的問題は、これらの要因による構造的葛藤と捉えることができる[1]。

この中でいうと、一番心あたりがあるのが「職場での変化」だと思った。じゃあ、このまま行くと、どうなっちゃうんだろうか・・・と不安になるところにWiki兄貴の心意気、「中年期の心理的危機」というところに書いてあった。

中年期の心理的葛藤は、以下のような感情や行動となって表れる。
・出社拒否などの職場不適応症、うつ病、アルコール依存症といった臨床的な問題
・空の巣症候群(子どもが家を出たり結婚したりしたときに、多くの女性が感じる憂うつで不安になる苦しみの一般的な信念)
・自己の限界の自覚
・達成する事の出来なかった物事への深い失望や後悔
・より成功した同輩・同僚に対する屈辱感・劣等感
・自分はまだ若いと感じたい、また若さを取り戻したいという思い
・一人になりたい、もしくは気心の知れた者以外とは付き合いたくないという欲求
・性的に活発になろうとする、もしくは逆に全く不活発になる
・自身の経済的状況や社会的ステータス、健康状態に対する憂鬱、不満や怒り
・人生の前段階で犯した過ちを正す、または取り戻そうとする

この中で言うと、「自己の限界の自覚」、「より成功した同輩・同僚に対する屈辱感・劣等感」というのが強い気がする。この虚しさは、コロナ禍による在宅勤務の時期に発生した。これは紛れもない事実。家族関係に変化はない。健康面も、メタボというお茶目を抜けば、大きな変化はない。
やはり、「仕事」である。「評価されて、出世することが大事」という価値観が刷り込まれている、あの場所である。少なくとも、僕は。

では、いまさらながら、自己紹介をしてみよう。

さて、「やっさん(筆者)」とは誰か?

1979年6月生まれ。千葉出身。非常に平凡な男である。

小中高と、千葉の公立学校に通い、1年の浪人生活を経て東京の私立大学へ入学した。これといったエピソードは、ない。中学校のころ、厳しいバスケ部に入部。ご多分に漏れず「SLUM DUNK」の三井寿に憧れて、入部した。スリーポイントシュートはたいしてうまくなかった。高校のころは、体育会系への憎悪から自由を求めた。私服の学校を選んで、バンドもやっていたし、新松戸駅前の「ロッテリア」でバイトをしていた。なけなしのバイト代を握りしめて、学校をさぼってBoonの表紙を飾った広末涼子を眺めながら、原宿の「No where」や「Neighborhood」に並んだ。Tシャツ9000円とか、本当に狂ってたな。正直、他人とは違うことやる(なる)、というのに憧れていたことはあったが、それでもヤンキーになるわけでもなく、バンドのプロを目指すほどの情熱や技術も、夢に輝いた目も持ち合わせていない程度の青臭さだった。授業はほぼ寝ていたが、赤点スレスレで何とか持っていた。もちろん、大学受験は現役時代全滅(そもそも勉強しなくても受かりそうなところ1校だけ受けたが、もちろん落ちた)。それでも、一浪して大学にはなんとか滑り込むことができた。

ただ、大学でも、高校とあまり変わらない生活が続いた。友達の家に転がり込んで、一日酒を飲んだ。本当に変わり映えのない、没個性な大学生だったと思う。

スチャダラパーの曲で「中庸平凡パンチ」という曲がある。

❝キャッチザビート 猫背に人生
 サムライではない うちの祖先
 骨の髄まで 中庸平凡
 パンチにかける 中高のエピソード
 エピローグまでは まだまだ相当
 あてどないモヤモヤと 焦燥❞
(スチャダラパー「中庸平凡パンチ」2015)

5年前の曲で中高大の時のものではないけど、ほんとにこれは自分だなー、と思った。パンチにかけるもん、エピソード。

ただ、大学時代にユニークなことをしたと言えば、当時珍しかったインターンシップをしたことぐらいか。ウェブ編集会社で、本来データ入力で入ったアルバイト先で、無理やり編集部に入れてもらって、取材したり記事かいたりして編集者の真似事みたいなことをしていた。あとは、塾の講師を2つかけもちしていて、一つは進学校用の個別指導塾、もう一つは勉強なんかやる気のないそろばん塾の講師をやっていた。そろばん塾は、面白かった。自分でかってに授業内容を変更して、生徒と一緒に遊び半分で授業していた(国語の授業で、落語の「寿限無」を覚えさせたりしていた。ひどい話だ)。それくらい。でも記憶にはすごく残っている、数少ないエピソード。

ただ、就職の時だけは、逆転ホームランを打てたと思う。ここからが、「評価や出世」という悪習にからめとられることになる。当時人気沸騰中の外資系コンサルティング会社に滑り込むことができたのだ。正直、理由はわからない。一流大学でもないし、キャラが立っているわけでもない。ただ、すべてのグループディスカッションや面接で、ことごとく「ちょっと違うことを言ってやれ」というアプローチがハマったのを覚えている。自分でも不思議なくらいの強運だった。

・・・・・さて。

ほんとは1回目なので、思いを書き尽くしてと思ったのだけど、Wiki兄貴の引用で埋め尽くしてしまったので、今日は一旦筆をおこうと思う。

次回は、
・どんな仕事をしているのか、していたのか。どんな「職場での変化」があったのか。
・この中年の危機を乗り越えるための解決策(仮)とは?
・じゃあ、とりあえずどんな事をするのか?
といったところを、話せればいいな、と思ってます。

こんな駄文、ここまで読んでくれてありがとうございます。書きながら、自分のモヤモヤが少しだけ晴れた気がします。
もし、少しでもこのnoteに興味がでたら、もしくは僕も私も「ミドル エイジ クライシス」なんだ、という人がいたら、いいねやコメントをお願いします!!!

「全力で読みます」

一緒にこんなクライシス、さっくと乗り越えてやりましょう。絶対できるよ。

やっさんより



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