【区境ウォーキング】目黒区/品川区(目黒駅〜洗足駅)
以前から「区境」というものに興味があり、先週末ふと思い立って、目黒区と品川区の区境を目黒駅から洗足駅まで歩いてみることにした。
何の下調べもせずに歩いてみたところ、不思議な箇所がいくつもありなかなかおもしろかったので、備忘録的にまとめてみようと思う。
目黒駅
出発地点は目黒駅とした。
大まかに言うと、東急目黒線の北側が「目黒区」、南側が「品川区」であり、その端が目黒駅である。
目黒駅は品川区にあることは有名な話だが、その理由が目黒区のHPに以下のように記されている。
ちなみに、品川駅は港区にあり、こちらもまた駅名と地名が一致していない。
理由は自分で調べて欲しい。
目黒駅前は、山手線の南半分の駅前の中で一番開発が進んでいない駅だと思う。
以前、土地買収の交渉をしたことがあるが、けんもほろろだった。
また、目黒駅前と言えば、「ブリリアタワーズ目黒」が有名だろう。
住宅の専有坪単価は、2017年7月の分譲当時、坪600万円だった。
それが直近の成約事例で坪835万円まで上がっている。
「分譲」と「賃貸」をのどちらがお得かというくだらない議論を何年もしている人がいるが、とにかく勇気を出して購入しなければ何も始まらないことは明らかだ。
兎にも角にも、考えるな、買え。
3区区境
話が大きく逸れてしまったが、それではここから区境ウォーキングで見つけた不思議な場所を記録していこうと思う。
目黒駅から首都高目黒線の高架下を歩きながら一つ目の信号までいくと、3つの区(渋谷区/品川区/港区)の区境の地点がある。
地歴を調べたところ、旧水路が区境になっていることが分かった。
現在は暗渠になっているが、まさにその水路跡がそのまま区境になったようである。
また、そこから西に100mほどいくと、今度は3つの区(目黒区/品川区/渋谷区)の区境の地点がある。
位置関係的にはこんな感じだ。
この約100mが唯一渋谷区と品川区が接する箇所である。
また、渋谷区と品川区の区境は前述の通り水路が区境になっているが、目黒区と品川区の区境は何を基準にしているのだろうか。
この時点では分からなかったが、先に進んでいくと渋谷区と品川区の区境も水路であることが分かった。(以下、3写真)
ちなみに、この3つの区(目黒区/品川区/渋谷区)の区境の地点の北側、現在の恵比寿3丁目の土地には伊達藩の下屋敷があり(江戸時代)、その西側の現恵比寿ガーデンプレイスにはビール工場があった(明治時代)。
その先に進むと、しばらくは道路が区境になっていて(水路跡)、山手線に当たる。
日の丸自動車学校
歩き進むと山手線を超えたあたりに日の丸自動車学校がある。
日の丸自動車学校は目黒区に位置しているが、その南側の道路が出っ張っている形で区境となっている箇所がある。
道路は品川区、道路の両側の民地は目黒区という場所だ。
これまでの流れから、ここもまた水路跡ではないだろうかと考えるのが自然な流れである。
調べてみると、やはりここもまた水路跡であった。
地図をよく見ると、日の丸自動車学校の北西に水路跡のような曲がりくねった道路が残されている。
これが三田用水と呼ばれる水路で、玉川上水からの分水のようだ。
江戸時代に多摩川から江戸の街に飲用水を供給するために人工的に作られたのが玉川上水であるが、そこから分水され各地の飲用水や農業用水として利用されていた水路が区境の前身となったわけである。
ちなみに、前章でまとめた目黒区と品川区の区境の水路は、銭瓶窪口分水(白金分水路)と呼ばれていたらしい。
これらの張り巡らされた用水路が飲用水、農業用水、ビール工場等の工業用水として利用されていたようである。
先日のブラタモリ「江戸の水〜江戸の水が東京を潤す?〜」(初回放送日: 2021年11月6日)で説明されていたことが区境に深く関係していることがよく分かった。
今回は区境を歩いてみたが、ひょっとすると水路跡を歩いてみるのもおもしろいかもしれない。
では、なぜ日の丸自動車学校の南側道路は出っ張っている形で区境になっているのだろうか。
いろいろ調べてみたが、その理由は分からなかった。
しかし、道路部分が品川区で、道路に接する民有地が目黒区だと前述したが、実はそれは誤りであることが分かった。
ゼンリンの住宅地図、品川区の都市計画図、目黒区の都市計画図によると、道路や民有地の境ではない(現在の敷地では)中途半端な箇所が区境となっていたのだ。
謎だ。
続きはまた今度。
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