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身の置き場所のつくりかた
学生時代の集合写真、あなたはどこにいましたか。
わたしは、最後列の右から2-3番目。背が高い方だったので、身長順で場所が決まるような写真で前列に行くことはなく、撮影してくださる方の指示通り、最後列でなんとなく所在なげにしていた記憶があります。
そのうちそこまで几帳面に場所を決める必要がなくなっても、なんとなく前に行くのは憚られ、いつも最後列の端か、やっぱり2-3番目。記憶と習慣とは恐ろしいもので、なんとなくそこに立つのが今でも一番しっくりきます。
今日初めてお会いしたお客様とそんな話をして、いま自分で写る場所を選択できるとしたら、どこに自分の場所を作るだろうと、ふと思いました。あなたはどこに写りたいですか。どんな顔をしますか。誰の隣を狙いますか。
わたしはきっとそんなことどうでもよくて、どんな人がいて、どんな集まりで、どんな目的でその写真を撮るの?なんて、きっととても計算して、自分のおさまる場所を決めるんだろうな。
「あなたは自分が輪の中心に置かれると、冷静でいられない。輪の外で周りを客観的に眺めているのが好きなんだね」。かつてお付き合いした方に言われたことを、今でも覚えています。
言われたときは確かにそうだなと思ったのだけれど、その言葉の呪いに長年縛られていた自分に気づいたのはここ最近のことです。わたしだって下手なりに輪の中心に入りたいと思うこと、ある。でもこの言葉はきっと、わたしは輪の中心にいない方が彼にとって都合がいいという、彼の牽制から生まれた言葉でもあります。
自分が信頼/信用できる相手に言われたことが唯一の正義だと信じ込む誤ったピュアネスは、どこかで放り出さないといけないな、とも思いました。
近しい人の訃報に接することが増え、出会った人たちと写真を撮って残しておきたいと思うことも増えました。
いつだって誰にも気兼ねすることなく、自分が写りたい場所で、とびきりの笑顔で写れるようなマインドセットで生きたい。そんなマインドセットがある方、ぜひわたしと写真を撮っていただけたら嬉しいです。
本日の1曲は、ノルウェーの大御所のクリスマスアルバムから。静かな冬の訪れと、つめたい空気にそっと触れるような、そんな。