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トレーナーへの道!社会人編(後編)

アスレティックトレーナーとして活動しているコンディショニングセラピストの早坂です。
さて今回は社会人の後編です。久しぶりの更新ですがお付き合いください。

まだ読んでない方はこちらから読むことをおすすめします!

とうとうその日は訪れました。
プロ野球でトレーナーをされてる先輩トレーナーから、チームのトレーナーが病欠で春のキャンプに間に合わないので、1人キャンプに参加してほしい。
院長から行ってこい!との号令。
とても嬉しかったのを覚えています。


初のプロ野球のキャンプ

いざプロ野球のキャンプに参加させていただき、とてもとても緊張していたことを覚えています。
最初に声をかけてくれた当時のヘッドトレーナーの方が空港まで迎えに来てもらい、選手との対面。
そこで、効果を発揮したのが横浜高校という出身校のブランド。
ちょうどチームに大先輩の選手が!
ベテランの選手に声をかけていただき、さまざまな事を教えてもらいました。休日には食事に連れて行ってもらったり、使わない野球グッツを頂いたり。本当にお世話になりました。
また、それとは別に野球会には同期や同年代のグループがあり、食事などに誘っていただきチームに溶け込むことができました。

まず、ケアの希望がある選手であまり症状がない選手のケアを担当させていただきました。さすがに大きい選手たちが多かったですが、落ち着いて対応できました。いつもやっている事をやれば通用するとも思ったと同時に、今思えば自分の仕事に精一杯で、周りの先輩トレーナーの手技や手法を見学する余裕がなかったですね。
今であれば必ずチラチラと何をどうアプローチしてるんだろうと気になって仕方ありありませんが(集中しろ!って話)

前半は1軍をメインで担当させていただき、後半は練習試合があり移動などもあったため、残って2軍担当させていただきました。
こちらはまたトレーナーのメンバーも変わり、2軍の方がのびのびと対応させていただいた覚えがあります。
リハビリ明けで、キャッチボールなどの確認の無茶振りなどありましたが(笑)硬式を引退して7.8年経っていたので結構6〜70Mのキャッチボールはキツかったです。。。

夢の舞台 プロ野球トーレーナー

この時の僕の感想としては正直物足りなさを感じていました。
もちろん長丁場であり、大好きな野球ですし有名な選手たちのケアをするということに関して誇りのようなものを感じて、プライドを持って一緒に戦っているんだなと、半歩後ろからトレーナーさん達の仕事を見ていました。
しかし、アメリカンフットボールや他のスポーツ現場を体験していた私は、もっとトレーナーって色々できるよね。
マッサージだけじゃないよね。ってところでもやもやしていました。
当時はほとんどマッサージ、テーピングくらいがほとんどの仕事だったと思います。(他にも多岐に渡りますが)
また、トレーナー間の仲や選手とトレーナー間の溝などを節々に感じ、あーやっぱ難しい世界なんだなと感じました。
いやー、当時26歳くらいでしょうか。何言ってんだ若造が。と聞こえてきそうですが。。。いや、今の僕ならいいますね。

帰ってから

そんなこんなであっという間の1ヶ月。
通用したこと、勉強不足だったことを感じました。
通用したのは、まだまだ未熟だと思っていたスポーツマッサージが、選手からの反応は悪くなかったこと。
勉強不足だったことは、外国人選手などがいる中、サプリメントや薬の知識がと思しくて、話についていけなかったこと。アンチドーピングについてもアスレティックトレーナーの資格を取得する際に勉強してきたつもりでしたが、まだまだでした。

治療院の方も転換期を迎え、人数も充実してきたので、分院をいくつか出したりしていました。
病院の福利厚生のためのマッサージルームの運営や高級クリニック内のマッサージルームでのマッサージルームの立ち上げと、さまざまな経験をさせていただきました。
その分、最初はやはり触れる患者様の絶対数が減ってしまうのが完全歩合性には相性が悪かったですが笑

そうこうして、埼玉の中学校野球部のトレーナー活動や、東京の高校女子バスケ部のトレーナー活動をしたりと充実した日々を過ごしはじめた矢先に更なる試練が待ち受けるのだった。

つづく



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