小林カノン
歌を歌わなくなって美濃に入っていた葵が蝶々みたいに歌を歌って元気になっていくまでを記した日々の記録。
詩集2 花びらが散っていくようだった日々。
訳ありママちゃんの日々
2011年から書いてたけれど、眠らせておいた文章を少しずつ手放すマガジン。今と重なる気持ちのものもあったり、過去であったり。
画集
トントントン ベランダに当たる雨の音 目覚まし時計がなって シャ!とカーテンを開ける 🛌の縁に座ってひと伸び あー今日はお料理しよう 野菜がしおれる前に ブロッコリーを茹で玉子で絡めたいんだよね それと 夕飯用のスープを作らなきゃ トン トン ゆっくり包丁を入れる ザルが3つ お鍋が2つ ちっちゃと作って出来上がり あれれ もう今日はやること無いな お風呂に入っちゃお チャッポン ぷるぷるジャンプぷるぷるジャンプぷるぷるジャンプ ポカリ飲んで身体を整えて 雨も上
私は今日も絵を描いて あなたに届けた歌も歌わずに暮らしてる 友達も世の中も変わっていって あなたの足跡を私は抱いている 朝日を迎えては 歌わなくなったことが 悲しみの花 気がつけば10年が過ぎて 私はもう一度出来ることを探してる 私は今日も絵を描いて 歌を歌って 言葉を紡いで 暮らしてる いつの日か あなたに出逢えると 笑顔を忘れずに 心に明かりを灯して
私の美恵子おばあちゃんは6人兄妹の長女でありました。その弟の憲治おじさんの話であります。 美恵子おばあちゃんは私が小学2年生の時に亡くなり、あまり記憶がありません。その後、長野に行くとき、憲治おじさんのお宅に寄ることがありました。おじさんは毎回「泊まっていけ」と言ってくれていて、私と姉だけ泊まっていったこともありました。「昼飯くってけ」と言ってくれてもいました。しかし母と父は「悪いじゃない」と言ってお茶もそこそこお土産のお菓子だけ渡しておじさんの家を後にしていました。子供の
時代の波に乗って無いんだけれど。ボクはCD派。昔のミニコンポ今でも使ってる。仕事部屋にはミニコンポが置いてあって。PCを使うときには必ずヒーリングかJazzがかかってる。 夜のリラックスタイムには昔のWALKMANを大事に使ってて。パソコンにCDを取り込んで、WALKMANに転送してる。 ボクはたくさんの音楽を聴く訳じゃないから、1枚のCDを毎晩のように聴くってことが、音楽を大切にしてるみたいで、ボクは好き。そりゃ、何枚か入れ換えで聴くこともあるし、聴くというよりは流して
春のお彼岸。実家のお仏壇が賑やかになっている。頼りになる人は子供の時に死んじゃった。今はへなちょこの父親が生きてるだけ。 私のお父さんは父親ではなく、おっちゃん。 おっちゃんは頼もしかった。大きい声で堂々としていた。おっちゃんが亡くなって、寄せ書きを職場の人が書いてくれたの。その中に女の人が「イイケツしてるな、バシン、と叩かれても嫌らしい感じが全然ない捷雄さんでした」と書いてるのがあった。私にも「カノン、おっぱいおっきくなったな」と言っていた。 おっちゃんは小学校4年生の
「どこどこに連れてってあげる」(^o^)と喜ぶと 「やっぱりダメ~」(T-T)と泣く それを面白がって繰り返し繰り返しやられた 幼い頃から姉に そのうち姉の頭のなかが見え透ける様になり 私の観察力と推理力は鍛えられていった でも心の脆弱性は幼少期ツンツンやられて根本が揺れる程 街中 特にスーパーで見掛けるんだけれど ちっちゃいのがビエンビエン泣きながらお母さんのあとをついていく お母さんにしがみついて叩いている それでもお母さんは取り合わず歩いていく そういうちっちゃ
夕暮れになっても 春の白い光 レースカーテンの向こうに 物干し竿と青い空 時間は10年経って 街の中の人も入れ替わり立ち替わり 所属場所も転々 4月って何かを始めるのに良い季節だよね 学生終わっても4月から新しいことを始める うん 良い区切り だんだん気候も暖かくなってきて 外出もしやすくなって 心が動くようにもなってくるかな 同じ場所にいて 大切にしてるのも変わらないんだけれど アンテナを張っておかないと 筆が進まない 行き詰まった冬だった 午後は相変わらずステ
冬の終わり 風がガタガタと窓を揺らす 北風の子が また来年遊びに来るね と言っているのだろう レースカーテンの隙間から見える空は 青く青く 冬の冷たい空気が澄んでいる あの子の瞳 影を落としながらもキラキラとしていた 空の澄んだ青さとは反対 あの子のお母さん 子供の頃のまだ染まっていないあの子を知っている 4月から社会人 空を翔 ひとつ真っ直ぐに 春はもうすぐ やっと一人前 しっかり歩いていくんだよ
カノンのおじいちゃんである小林静三おじいちゃん。長野県の戸隠で生まれました。第2次世界大戦で香港で囚われました。しかし「ホットウォーター」と口に出すと、味方だと思われ解放されて帰国の途に着きました。おじいちゃんは温かいお湯を飲みたかったんだと思います。帰国して長野の家に帰ると髭がぼうぼうで誰だかわからなかったそうです。 静三おじいちゃんは警察官でありました。TOKYOの中野警察学校の師範でありました。この事からもわかるように、とても厳格なおじいちゃんでありました。カノンがま
日が暮れる前のお風呂 歌でも歌いながら30分1時間浸かってたいな 記憶ってのは不意打ちのように思い出されることがあって 冬の町 頬をさすような寒さ 防水スピーカー持ち込んで3時間浸かってたな あの頃のことを思い出すのは今日で最後にしようと思ったんだけれど 生活の中で重なる状況に思い出してしまう 強い風の中 言葉が降ってくる 「君をそんなにするつもりはなかった」 田舎町に戻りなさい 西へ旅しなさい 南へ飛びなさい 都会へ戻ってきなさい 恋ではなく支配されていただけだった
今日は川越に行ってきました。裏通りを歩いていると、年配のおばさまに声をかけられました。「なんとか通りって言う商店街はどこかしら?」『1本向こうです』「ありがとう」『お気をつけて』「ありがとう」。サングラスをかけて、口調が柔らかいおばさまでした。そういえば先週アドマッチック天国で川越がやったと聞きました。きっと都内からフラリと来たんだな。私は手続きとかかりつけ薬局に行ってきたんだけれど。 その帰り、PePeでフラフラとお店で服を見てると、店員さんが「今日は寒いですね」と話しかけ
死にたいわけではありません。生きていたいわけでもありませんでした。生きたくても生きられなかった人の想いを受け継いで生きているのでしょう。 カノン そんなことを昔思っていました。 昔の事だけ輝いてる そんなクライ毎日は過ごしたくない 引用 B'z さよならなんかは言わせない そう思ってティーンの中頃現実逃避をやめて出ていった。ティーンなのに 昔の事だけ輝いてる って言うのもなんか。?だけれど。家族の中ではおっちゃんが亡くなって、仲良かった友達は転校
西に沈んだ太陽 雲を黄金に照らす もしかして 天国の入り口ってあそこかな 去年の12月の初めまでは 濃紺と紅い空のコントラストがキレイだった夕暮れ 年明けの日暮れのこの時間 空は白み始めて 季節は冬だけれど春に進んでるのがわかる 空を見て何かを感じる その心が取り戻せて良かった 身を切るような言葉の数々 身動きも出来ないほど心を感じないようにしてた あいつは湿っぽいことばかり書きやがる そう言っていた人もいたかもしれないけれど ジュクジュクだった傷も言葉で癒し
ビルの裏通り 地下にあるライブハウス 一夜の熱狂 ここから始まった ティーンの全ては音楽だった イヤホンを耳に入れて リモコンで再生するSONYのカセットWALKMAN 東京の予備校にキチンと行くから買って その約束だけは守った 門限は破る 小言を言う母親をいつもの事だから気にしなかった だけれど行き先がなくて WALKMANを耳にして 早稲田通を歩いて 中野から新宿に入って ガード下を越えて 歌舞伎町の路地をフラフラと歩いてた 何にも知らない子供だったから そんなこと
夜のとばりに包まれる カーテンを閉めながら紺碧の空を仰ぐ あなたは今 帰り道を歩いてる頃でしょうか キッチンでコーンスープをミルクを入れながら暖めた 心をホッとさせてくれるの 子供の頃の記憶 夫婦喧嘩の耐えない家庭だった 熱を出して寝込むと母はコーンスープを作ってくれた 粉末タイプ どんな家庭だったかわかるでしょ? お母さんが美味しいご飯を作ってくれた人 お父さんがキチンと叱ってくれた人 そんな人を好きになっていたけれど 眉毛に剃り入れてた頃があった人の方がキモチがわかっ
おはようございます。首の痛みに悩まされています。 最近、イエ、12月中旬辺りから、タートルネックのフリースを昼間も寝る時も着ていました。着替えように色違いで4枚購入したものを交互に。ヘビロテですね。暖かいんです。1度着たらもう脱げなくなってしまったのです。ほとんど家にいたし、外出しても人に会うこともなく、日用品の買い物くらいだったので、タートルネックの上からコート着て出掛けてました。帰ってきて、即お風呂に入って、またタートルネック。そのせいなのか、パソコンに向かってるからな