翹楚篇 チャットGPT現代語訳②
③公の世子にて-鷹山公が世子だった時の逸話1
原文
○ 公の世子にてましませし時、
或日馬場へ出て責馬の御なくさみあり時に、御手明組交替のもの桜田御屋鋪に着日なり、其内何といへるものにや、今年始て江戸へ出たるものなり、事々不案内にて馬場を通り御馬見所近く行つめけれハ人々叱して退けぬ、
元より不案内のものなれハ驚あわてゝ御馬見処向諸士小屋の垣の内に入て身をかくせり、斯して久しく待けれとも御責馬のやまされハ、何かハたまるへき、やむ事なくして垣のかけにて小便せり、
侍衛の諸士おの〱 みつけて此事を訟んことを議す、此事公の御耳に達しけるにや、諸士をかへりミ見玉ひて、の玉ひし、
責馬をみて居しゆえ小へんするものをハみる暇もなかりしそ〱とのたまひしほとに、議する人々其名をもきかすしてやミぬ、
現代語訳
鷹山公がまだ世子でいらっしゃった頃、ある日、馬場に出て馬を御指導されている最中のことです。その日は、御手明組(おてあけぐみ)の交替の日で、桜田御屋敷に新たに着任したばかりの者がいました。その中には、今年初めて江戸に来た者もいて、いろいろと不慣れでありました。彼は、馬場のことを知らず、御馬見所(馬を見るための指定場所)に近づきすぎてしまい、人々から叱責されて退けられました。
その者は、もともと不慣れで驚き、慌ててしまい、馬見所の近くにあった諸士小屋(しょしごや、武士たちの詰所)の垣根の中に入って身を隠しました。しばらくそのまま待っていましたが、公の馬の指導はなかなか終わらず、我慢できなくなり、やむを得ず垣根の影で小便をしてしまいました。
これを見つけた侍衛(さいえい、警護をする武士)たちは、どうしたものかと相談し、その事を告訴するかどうかを議論していました。この件が公の耳に届いた時、諸士たちを振り返り、次のように仰せになりました。
「馬を御指導している最中だったので、小便をする者がいても、それを見る暇はなかったよ。」
このお言葉を受け、議論していた人々もその者の名前を詮索することなく、そのままこの件を収めました。
④公の世子にて-治憲公が世子だった時の逸話2
原文
○ 世子にてましませし時、
侍臣某精進の朝餉を供しまひらするに、椀の中芋の子に魚の鱗一片つひてあり、進めて後見付るといへとも、せん所を知らす、
公竊に知しめし芋を覆して鱗をかくし玉ひし、
現代語訳
世子でいらっしゃった頃、ある朝、侍臣の一人が精進料理の朝食をお供えしました。その椀の中には、里芋が入っていましたが、魚の鱗が一片ついていたのです。料理が進んだ後にその鱗が見つかったものの、侍臣はどうするべきか分からず困っていました。
しかし、公はそのことに気づかれ、誰にも知られないようにそっと芋を覆い、鱗を隠されました。