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翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑭


29.常々の御物語に -鷹山公の贈り物に関しての気遣い

原文

 ○常々の御物語に、献上ものハ、軽きに却てしほらしき誠あり、下々同士〱 の贈物も斯あるへし、能品致来の満足ならぬにハあらねとも、善尽し美を尽せる品を贈られてハ、其心遣のいたミ入、又相応の挨拶もかなとおもふより、常々苦にし心にかけて安からす、
 譬釣魚の二三も持来り、或茶園の品摘来りて、手作りの品といひ、きのふ釣得たりといひて贈れるにハ、実も其人のしん実おもひやられてしほらし、斯る品とて挨拶の如在をすへきハはあらされとも、苦にし心にかゝる程にもあらされハ、心におひて安きなり、
 然るに能品事々敷取飾て贈れるハ、上を敬せる誠より其心を尽せるに相違もなけれとも、其心遣ハ却て痛入て安からぬなり、
 凡の人情おもふまゝなるにハ、心残らす心まかせぬに残念のたへぬものなり、されハ能品取揃て贈らるハ、元より己かおもふまゝの贈物なるより、おのつから残す所なしといふ心より、又も〱 とおもふ心の誠を失ふなり、心にまかせぬ微少の贈物せるハ、其微少なるの残念より、又も〱 贈たきといふ心わすられす、其人の誠も弥益に進そかしとのたまひし、

現代語訳

 治憲公は普段から「献上物には、軽いものであっても却って素朴で誠実さが感じられることがある」とお話しされていました。人々が日常で贈り合う品物もそうあるべきだと。立派な品物を贈られれば満足しないわけではないが、最高の品を尽くして贈られると、その気遣いに対してこちらが恐縮してしまい、相応の礼をするのにも心苦しくなる、と治憲公は考えておられました。
 例えば、釣った魚を二、三匹持ってきたり、茶園から摘んだ茶葉を「手作りです」と贈ってくれたり、「昨日釣ったものです」と言って贈られたりすると、相手の真心が伝わり、素朴な気持ちがしみじみと感じられるものです。そのような贈り物であれば、挨拶を控えめに済ませても不満は感じません。大きな負担にならないため、心が軽くなるのです。
 一方、最高の品物を丹念に飾り立てて贈られると、確かにその誠意には違いないのですが、逆にその気遣いが過剰になって、こちらの心は安らぎません。人間の感情というのは、その時の思いのままに動くものです。心に少しも残ることなく、満足できない場合は非常に残念に感じるものです。
 だからこそ、立派な品物を揃えて贈るのは、もはやその贈り物が自分の考えたものであり、心残りがないと思い込んでしまうことです。すると、「また贈りたい」という純粋な気持ちを失ってしまうのです。逆に、少し足りないと感じる程度の贈り物であれば、その心残りが「また贈りたい」という思いを忘れさせません。そして、その人の真心はますます深まっていくことでしょう、と治憲公はおっしゃっていました。

30.江戸上御屋敷御座の間 -鷹山公の花見を通した家臣との交流

原文

○江戸上御屋敷御座の間御庭の広かりけれハ、萩多く村々に植置玉ひ、花の盛になれハ、御家老より足軽中間御国にてハ夫方と唱ふるもの又もの輩に至る迄、一ヶ年の気つめをおほしめしやらせ給ひ、萩見の宴をなさしめたまふ、
 御庭の彼所是所に薄縁しき、其所々に酒肴、或煙草の火なともふけおかれしほとなれハ、詩を作り歌をよみあるいハ、発句なとたのしむあれハ、酔てうたひ舞ふもあり、花を手折てかさせるあれハ、耳を引て酒をすゝむるもありて、其興いふもさらなり、
 されハ貴賎残らぬ花見なれは、其相応の並方を組合て、花の咲そめしより、うつろひちるまての花見なりしハ、たのしかりし事なり、
 諸士の花見の宴にハ、折々障子押あけてのそませられ、興にのそんてハ御座をも設られ、御ミつからの御詩歌をもみせ玉ひ、下々の花見にハ折ふし御障子を細めてたのしミ玉ふ御よそひ、亦筆の及へきにあらす、

現代語訳

 江戸の上御屋敷(治憲公の居住地)では、御座の間に面する庭が広いため、萩の花が多くの場所に植えられていました。花が盛りになると、治憲公は家老を通じて足軽や中間(ちゅうげん、召し使い)など、武士から下々の者まで、一年間の苦労をねぎらい、萩見の宴を催されました。
 庭のあちらこちらに薄縁(うすべり、敷物)が敷かれ、その場所ごとに酒肴や煙草の火が用意されていました。人々は詩を作ったり、歌を詠んだり、発句(俳句)を楽しむ者もいれば、酒に酔って歌い踊る者もいました。また、花を手折って髪に飾る者や、耳を引いて酒をすすめる者もおり、その情景は言うまでもなく興趣に富んだものでした。
 この萩見の宴は、貴賎(身分の上下)を問わず皆が参加する花見であり、それぞれにふさわしいグループを作って、花が咲き始めてから散り落ちるまでの期間を楽しんでいました。その光景は非常に賑やかで、楽しいものでした。
 諸士(武士たち)の花見の宴では、時折障子が開けられ、治憲公がご覧になり、その興に乗じて自ら御座を設け、御自作の詩や歌を披露されることもありました。一方で、下々の者たちの花見の際には、治憲公は障子を少し開けてその様子を楽しんでおられ、そのお姿は筆に尽くせないほど優雅で趣のあるものでした。

31.三御丸御隠殿御庭にさくら木 -鷹山公と桜

原文

○三御丸御隠殿御庭にさくら木多々あり、花の盛にハ御父重定公をはしめまひらせ、御方々へ花の宴すゝめ玉ひ、残る日にハ宮つかひし奉る者残りなく前宮つかひして、今異役にあるもの元つかひまひらせて、隠居せるもの又ハ今みやつかひせるものゝ老たる父なとあるをハ、少しき御馴染のゆかりもて召て、さくらかりなさしめ玉へり、
 又三月三日にハ御自御庭の曲水に臨ませ玉ひ、詩文にたつさはりて、御相手をもせりものにハ、曲水の御宴に侍らしめ玉へる事なり、桜かりに所々打むれたる手まつさへきる曲水の風流なる、皆筆にハ及ひかたくなん、

現代語訳

 三御丸(みまる)の隠居所の庭には多くの桜の木がありました。桜が満開の時期になると、治憲公はまず御父・重定公をお招きし、諸方(身内や家臣)にも桜を楽しむ宴をお勧めになりました。そして、花が散り始める頃には、宮仕えをしている者たちも残らず参加させ、かつて宮仕えをしていた者や隠居している者、さらには現役で宮仕えをしている者たちの老いた父親など、少しでも縁がある者たちを招いて、桜狩り(花見)を催しました。
また、三月三日には、治憲公はご自身で庭の曲水(庭園内の人工の小川)のほとりに臨み、詩文を楽しみました。詩文にたしなみ、相手を務める者たちもこの曲水の宴に招かれました。桜狩りでは庭の所々に集まり、曲水の風流を楽しむ様子は非常に優雅であり、それをすべて言葉にすることは難しいほどでした。


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