翹楚篇 チャットGPT現代語訳⑬
27.予隠居の風流にまかせて -鷹山公と太華との煙草を通した交流
原文
○予隠居の風流にまかせて、居屋敷のくま〱 より下屋敷まてに百草の種まき、水灌なんとにたのしみ、其か初摘をたてまつる事を常とせり、或年煙草も相応に出たりけれハ、手作の小柳舘 山村の煙草を小柳となんと書付て、是をも添てたてまつりし事あり、
其後の御意に過し頃の種々満足せり、其か中に煙草ハ殊に口にかなへり、またもあらハ献れとのたまはせぬ、故を伺まひらするに、汝か知ことく煙草ハ柔和なるを好むに、何としたる事にや、近来ハ次第〱 につよむきを出すゆへ、たとへハ三服のまんを一服のミ、五服のまんをやう〱 こらへていひて、御国の名産なれハ戯に其名をかりしなり、二服ものんて居りしなり、されハ取替てといはんとすれハ、又考るに、よきを〱 との心遣なるへきを、あし〱 といはんハ気の毒なりと、つとめこらへてのんて居たりしに、汝か手作の柔和なれハ、斯ハこのむとの玉はせしかハ、御請申て退ぬ、
扨御煙草司るものゝ、斯まて有かたきおほしめしを知参らせさらんことの気の毒なるより、御次へ退て、御意のしか〱 かたりしに、御煙草の量ハ御数寄屋御茶道の役なり、御数寄屋頭竹津長有か答に、誠に恐入し事なり、やはらかむき用たまへりをハ知なから、つよむきによき煙草あり、やはらかむきによき煙草なけれハ、少しつよきなるをたてまつりしに、あしきとの御意もなし、然らハ近来ハつよきにもなれ玉ひしとよろこひて、次にハ夫より少しつよき、亦其次にハ又夫よりつよき、漸々次第〱 につよきかたを奉りしに、遂つよしともあしゝとも御意下らねハ、されハこそつよむきになれ玉へりと嬉しきより、後ハ常として匂あるつよき煙草を奉りし事なり、然るにつとめこらへて召上られしとハ恐るゝにあまりありとそいへりし、
されハ約し参らせし事なれハ、九郎兵衛ハあるかきり二十連縄 にはさミたるまゝを連といふあ まりを献りける、ことしハ作毛あしきとて、酒停止の年なりけるか、御膳番尾形弥捴うけ玉はりにて煙草の御謝礼として御酒たまはる所なり、然しなから、此御酒都合一度に御渡ハ叶はす、日に三升つゝならハ日々御台所より請取て当年中は呑へしと、御台所と書付せる酒の通帳にて玉はりしなり、
斯る恭遜のおほしめしの内に、又斯る有かたき御戯もありし、
現代語訳
私は隠居の身として風流を楽しみ、住まいの庭や下屋敷に百草(さまざまな植物)の種を撒き、灌漑(かんがい)を楽しみ、最初の収穫物を差し上げることを常としていました。ある年には、煙草も相応にできたので、自家製の「小柳舘 山村の煙草」と名付けて、それを添えて差し上げたことがありました。
その後、治憲公は「最近いろいろな物をいただき、満足しているが、その中でも煙草が特に口に合った。また献上してくれないか」とおっしゃいました。その理由を伺うと、治憲公は「私は柔らかい煙草を好むが、どういうわけか最近はどんどん強くなっている。たとえば、以前は三服吸えたものが今では一服しか吸えない。五服吸えたものも、辛うじて二服しか吸えない。御国の名産であるから冗談でその名を借りたが、辛うじて二服は吸っていた。しかし、気に入らないとは言えず、よいと思っているのに悪いと言うのは申し訳なく、頑張って吸っていた。しかし、そなたの作った柔らかい煙草は私の好みにぴったりだ」とおっしゃったので、私はお礼を申し上げて退出しました。
その後、私は煙草を司る者たちが治憲公のお気に召す煙草を知らないのは申し訳ないと思い、次に退室した際に御意(お考え)を伝えました。すると、御数寄屋(茶道や趣味を管理する役職)の竹津長有が、「確かに恐れ入ります。柔らかい煙草が好まれていることを存じませんでした。強い煙草はありましたが、柔らかいものがなかったため、やむを得ず少し強いものを献上しました。それでも特に不満を仰せにはならなかったので、治憲公が強いものに慣れられたのかと考え、少しずつさらに強い煙草をお出ししていました。それでも何もおっしゃらないので、強い煙草に慣れられたのだと思い、強いものを常にお出ししていたのです。しかし、頑張って耐えられていたとは恐れ多いことです」と述べました。
そのため、私は約束通り、自家製の煙草を二十連縄(縄に束ねた煙草)にして献上しました。その年は不作で酒の提供が停止されていたため、御膳番の尾形弥捴(おがた みつしゅう)が煙草の謝礼として酒を賜りましたが、一度に渡すことはできなかったので、日に三升ずつ御台所から受け取って飲むことが許されました。こうして酒の通帳に記載され、年内に飲み干すことができたのです。
このように、治憲公の謙遜の中にも、時折このような面白いお戯れがあったのです。
28.正月十一日御規式に -鷹山公の家臣への気の利いた気遣い
原文
○ 正月十一日御規式に、御旗の餅、御武具の餅御祝有、其御膳に功の者人切れと祝ふて香物一切の附事なり、此日御膳に向はせ玉ふに、此一器のなかりけれハ、けふの事にてありしか覚束なし、香物一切つく事ありしとの玉はせけれハ、
御膳番驚きはせ入て、御膳部の番将に告ぬ、念に念を入れても間違の出る事ハいかゝのものにや、取揃て御膳台の上に置しを取落して上たり、差懸る御規式何かハ不調法申出の沙汰に及へき、先ゝもち出御膳につけて御祝ハすみぬ、
されハ御膳番尾形弥捴、御膳部番将羽鳥藤次郎か麁忽に極まりけれハ、弥捴御小姓頭香坂右仲まてしか〱 の不調法申出、其下知を待ける所に、御小姓衆をもて弥捴へ一首の御和歌を下し玉はりぬ、押いたゝき拝吟すれハ、
治れる 御代のためしハ ひときれの
かふのものさへ わすられにけり、
となん有かたき御歌たまはりけれハ、猶も目出たき御規式とハなりぬ、
現代語訳
正月十一日の儀式では、御旗の餅や御武具の餅を祝うための行事がありました。その御膳では、功績のある者へ「人切れ」と呼ばれる香物(こうぶつ、一切れの料理)が付けられて祝われるのが慣例です。しかし、この日、治憲公が御膳に向かわれた際、香物が一器欠けていることに気づかれました。治憲公は「今日のことなのか、それとも以前のことかよくわからないが、香物が一切れ付けられていたはずだ」と仰せになりました。
御膳番(料理担当)の尾形弥捴(おがた みつしゅう)は驚いて、御膳部の番将である羽鳥藤次郎に報告しました。どれだけ念を入れてもミスが起こるのはなぜかと問われ、調べたところ、御膳台の上にあった香物を取り落としてしまい、付け忘れたことが判明しました。しかし、儀式が進行している最中であり、不調法(ミス)を報告する時間もなく、すぐに香物を追加して祝事を無事に終えることができました。
その後、尾形弥捴と羽鳥藤次郎のミスが明らかになり、弥捴は御小姓頭の香坂右仲(こうさか うちなか)に報告し、指示を待っていたところ、治憲公から和歌が贈られました。
和歌には
治れる 御代のためしは 一切れの
香の物(こうのもの)さえ 忘られにけり
(治まった世の例として、一切れの香の物(お漬物)さえ忘れられてしまった)
と詠まれており、優雅でありながらも深い意味を持つものでした。
これにより、儀式はさらに喜ばしいものとなりました。