2024.09.13小林よしのり著「天皇論」
おはようございます。今日はタイトルの通り小林よしのりさんの描かれた漫画「天皇論」を途中まで読んで、大変面白かったので、ご紹介いたします。
小林よしのりさんは、有名な「戦争論」を高校時代に読んで、それまで東京裁判史観に染まっていた私を目覚めさせてくれた漫画家として尊敬していました。今回の「天皇論」は2009年に描かれたものですが、戦争論に負けず劣らず、日本人が学校で教わらない歴史の真実を知るのに必携の書という印象を受けました。
但し、最近のよしりんの女系天皇推進説やウクライナ戦争への意見、安倍首相や山口敬之さんへの批判などについての意見は私の意見と随分異なることは最初に申し添えておきましょう。
さて、天皇論では冒頭に小林さんも戦後の教育を受け、かなり個人主義者の思想を持っていたので、若い頃に天皇を敬うどころか、国旗掲揚の際も起立せず、君が代も唄わないタイプだったとか。私も権威主義が嫌いで似たところはありました。
しかし、もう一歩考えを進めると権威におもねる必要は無いかもしれませんが、社会というものは権威がないと安定しないということも事実でしょう。権威によって安定しているからこそ、この権威を崩壊させる革命を起こして自分たちの支配を確立しようとする共産主義者のような輩も出てきているのです。その証拠にマルクス主義の階級闘争論では特権階級を否定しますし、この考えに染まって天皇を否定する人も多いでしょう。
ところが、天皇というのは権威ではあっても自分の力で民を搾取し、押さえつけるような存在(うしはく)ではありません。天皇はむしろ、しらすと呼ばれる、国の平安と民の安寧を祈る存在なのです。これは2000年以上も前から続く伝統で、未だに天皇は民のために祈っているのです。
細かい話でいうと、天皇論の中では、1/1の正月早朝から皇居では四方拝という祭祀が行われ、そのほか祈年祭、皇室祭、神嘗祭、新嘗祭など年間30回以上も皇室祭祀が行われていることが取り上げられています。国と民のために天皇はずっと祈ってくれてるんですね。
祈るというと、現代的な合理主義の価値観で考えると、非合理であり、無意味のように感じてしまうかもしれません。しかし、その合理主義こそが利己主義や自分さえ良ければいいという個人利益の最大限の追求を促し、現代のように荒んだ時代を作り出したということをよしりんは、指摘します。
このことを考えると、私は一見非合理に見える伝統や文化の中に実は神が創造した静的な社会秩序を破壊する理性主義、合理主義を戒める知恵が含まれているように思えます。合理主義とか科学と私たちが呼んで絶対視しているものこそが新たな宗教であったと気付く必要があります。
この天皇制というのは、世界でも類のない長く続く伝統、文化であり、日本人の団結を非常に強固なものにしたため、社会を崩壊させ、支配したい共産主義者からすると最も壊したい対象となっていたはずです。そんな彼らのやり口が、この「天皇論」の中ではいくつか取り上げられていました。
一つ目が天皇、皇后、皇太子、皇太子妃殿下などへのマスコミによるバッシングです。美智子皇后も明治以来初の民間出身の皇后として苛烈なバッシングを受け、平成天皇も含めて、テニスやダンスに興じ、着替えが多くて赤坂御所がクリーニング屋のようだと愚にもつかない揶揄までされていたとか。雅子皇后も大変なバッシングを受けていましたし、今は秋篠宮家へのバッシングも行われています。こうして、毎回毎回、天皇に対する敬意を貶めていくという手法が取られているように感じます。
また、皇室祭祀を簡略化させようという動きも昔からあったようです。先ほど述べたように天皇は国の平安、民の安寧のために祈ってくれるからこその天皇であるのに、これを簡略化するとどんどん存在意義が薄れてしまいます。更に宮内庁に勤める人間も戦前とは異なり、他省庁からやってくるので、無知な人間も中にはいて、祭祀軽視の方向に動いているようです。
これ以外にも過去のブログ(https://note.com/ygaku/n/nfcf8cfc61d47?sub_rt=share_b)で何度か述べましたが、我々は君が代の由来も古事記・日本書紀も教わりません。建国記念日が、神武天皇が天孫降臨して即位した日であることも教わりません。学校で教わる歴史教科書では、聖徳太子は厩戸王(聖徳太子)と教科書では表記され、仁徳天皇陵は大仙古墳と表記され、1192年に源頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉幕府が開かれたとしていたものが、1185年には西国に支配力を及ぼしたとして1185年鎌倉幕府に変更となったようです。
これらはどれも天皇の存在を軽視するように仕向けるものだと思われます。この様に至るところに我々のマインドを天皇軽視、伝統軽視に持っていき、日本人の誇りを毀損し、団結しないような仕掛けがあるのが現状です。
我々は真の歴史を勉強し、誇りを取り戻し、伝統と文化を重んじ、子孫へそれを伝承して、団結していく必要があるのだと思います。