2024.09.17「文明の衝突」茂木誠さん&宇山卓栄さん-ウクライナ戦争の本質

おはようございます。少し間が開きましたが、週末は茂木誠さんとジェイソン=モーガンさんの「西洋哲学入門」セミナーや同じく茂木誠さんと宇山卓栄さんの「文明の衝突」という講座に参加していました。体調が悪くてフラフラで行ったのですが、話が面白くて講義中は目が冴えていましたね。

それにしても、歴史、哲学、絵画、音楽、文学など講師の方達の教養の広さと深さにただただ驚愕します。

さて、西洋哲学入門も面白かったのですが、こちらは後日紹介するとして、今日は文明の衝突の中でもロシア・ウクライナの歴史の話は非常に印象的だったので取り上げたいと思います。

ロシア・ウクライナの起源は、9世紀にバイキングのリューリック王がルーシ族を率いて築いたノヴゴロド国であり、共通のものでした。リューリックの親族であるオレーグが南下してキエフ公国(現ウクライナ首都)を建て、10世紀にはビザンツ帝国からの要請に応じてギリシャ正教に改宗します。

ところが13世紀にモンゴル騎馬隊からの侵略により、完全に滅亡します。そこから250年もの長い間「タタールのくびき」と言われるモンゴル帝国の屈辱的な統治を受けます。一方でキエフ北部のモスクワではイヴァン3世がモンゴルに忠誠を誓って、ロシア人反乱を鎮圧し、モスクワ大公として力を保持しました。

モンゴル支配が弱まった15世紀にポーランドとリトアニアが合同してポーランド・リトアニア王国という強力な国を作り勢力を伸ばします。その勢力下にベラルーシとウクライナは飲み込まれてしまうのです。

この頃、ウクライナには自衛のための騎馬戦法を磨いた自警団の共同体のようなものがいくつか存在し、彼らは「コサック」と呼ばれていました。彼らコサックはやがてポーランドからの支配を脱却したいと望むようになり、当時のコサック指導者であった「フメリニツスキー」はモスクワへ恭順を示し、援軍を要請する書簡を送ります。

これによりウクライナコサックはポーランド支配を脱却するのですが、今度はロシアに自治権を奪われていき、エカチェリーナ2世の代で完全にロシアに併合されることになります。

さて、長々とロシア・ウクライナの歴史を述べてきましたが、実はこれは本年2月頃に行われたプーチンとタッカーカールソンのインタビューの中でもプーチンが話している内容に沿っています。

そして、プーチンはこのインタビューの中でロシアとウクライナは元々不可分な歴史を持つ兄弟であるということを強調しながら、「フメリニツスキー」書簡をタッカーカールソンに見せ、ウクライナの方からロシアに併合されることを望んできたという証拠にしています。

ですが、茂木さん、宇山さんに言わせるとこれはプーチンが歴史を都合よく解釈しているものであるとのことでした。フメリニツスキーはウクライナコサックからすると売国奴であり、彼らは自由のために抵抗していました。民族意識は時代によって変わるものなのに、この時の書簡だけを切り取ってウクライナが併合を望んでいるとするのも無理のある話です。

茂木さんや宇山さんはもちろん、テレビや新聞で流される西側から見た一方的なプーチン批判プロパガンダを盲信するような方たちではないですが、プーチンが完全に善意の塊であるかのようなインターネットで出回る言説には毅然とノーをいいます。

私も世間一般のプロパガンダから抜け出ると、今度はプロパガンダの反対の立場からの視点に固執し、一面的な見方になりがちですので、茂木さんや宇山さんのように中立的で多面的な視点を提供して下さる先生がいるのは本当にありがたい。

読む本が増えてしまいましたが、今後もお二人えおウォッチしていきたいと思います。

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