2024.09.30天皇論-小林よしのりパート2

おはようございます。本日も前回の(https://note.com/ygaku/n/ndefc2e5c60e9?sub_rt=share_b) 続きから小林よしのりさんの「天皇論」について整理していきたいと思います。今日は天皇の存在とは日本人にとってなんなのかということについて考えていこうと思います。

まず、特筆すべき古代からの日本人の叡智としては、権威と権力を分けて、両方を握る独裁者を生み出さなかったということが挙げられます。すなわち、天皇は「シラス」存在としてあくまでも権威だけを有して、国民のために祈り、権力は武士などの別の存在が有していることで国内の政情安定を図れたと言えます。

このことは中国(シナ)の歴史を見るとよくわかります。彼らは常に権威と権力を同時に握る皇帝をトップに頂いていましたが、独裁者として皇帝1人に周りは全部奴隷という状態が一般的でした。さらに孟子が「現在の皇帝が徳を失い、自らに徳があるのであれば、革命は正当化される」という易姓革命思想を肯定した為にシナの歴史は悲惨な殺戮の繰り返しになっています。

ある皇帝が国を統一しても短期間で皇帝とその一族が皆殺しにあい、権力闘争の末、勝ち残ったものが、自らに徳があったから革命が成就したと新たな皇帝を名乗る。その皇帝が本当に徳があれば、まだマシかもしれませんが、自らに徳があると宣う、ならず者が権力を得たケースもあり、その時は国民虐殺を含むさらに悲惨な政治が行われる。このようなことが繰り返され、シナの人口は10分の1にまで減ったこともあるようです。因みに皇帝の姓が易わるので易姓革命というようです。

日本も鎌倉時代倒幕の際は幕府が徳を失ったという理屈づけがされ、革命思想に最も近づきましたが、後醍醐天皇の建武の新政が万世一系を前提としたため、日本に易姓革命は根付かなかった。

このような比較をしていくと万世一系の皇室、権威のみを有し、軍事力や政治機能は手放した天皇の存在は、国の安寧のための深い深い知恵であったことがよくわかると思います。

また、戦時中に天皇の存在が神格化されたことで戦争を国民に強いることになったなどという論調もありますが、これもよく考えていくと全くの検討はずれな意見であることがわかります。

まず、古事記などでは神武天皇が天孫降臨する際に神から人間になっていることは自明の事実として描かれていますし、天皇を神として信じていた人はほとんどいないでしょう。さらに言うならば、天皇を神として教育・喧伝していた時代は長い歴史の中でも昭和10年代後半のみに現れた極めて限定的な現象でした。

天皇を神格化したから日本は戦争への道を進んでいったのではなく、戦争になってしまったから、歴史的・伝統的に強固なものを国民の団結のために利用しただけだと言えるでしょう。それは、戦争していたどの国にも当てはまります。

例えば、アメリカでは戦争の後ろ盾に国民を統合するため、民主主義とキリスト教という伝統を利用しました。しかし、民主主義やキリスト教が戦争を起こす軍国主義の象徴だとは言わないでしょう。天皇だって、戦争の具に利用されただけであって、その本質は軍国主義を誘発するものでは全くないのです。

さて、長くなってきましたので、本日はここまでとして、次回はいよいよ最終回として天皇論の整理を終えたいと思います。

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