2024.08.28歴史を学ぶ意義
おはようございます。さて、今日は歴史を学ぶ意義について考えたいと思います。私自身、執行草舟さんの動画を見ていて読みたい歴史物の本が増えました。北方謙三著「楠木正成」、山岡庄八著「高杉晋作」「吉田松陰」、森鴎外著「大塩平八郎」「阿部一族」、島崎藤村「夜明け前」などなど。
純粋に読みたいという知識欲もあるのですが、歴史を学ぶと現代の合理主義とか理性万能主義とか民主主義と言ったものが上澄み液のように浅い歴史しか持っておらず、その中で物事を考えていく人間の価値観とそれ以前の人間の価値観に大きな隔たりがあるように感じるようになります。
我々現代人は、物質文明で生活しているのでどうしても合理主義、理性万能主義で物事を見てしまいます。いわゆる大脳をフル活用した毎日です。ところが、この大脳は地球の物質文明の中で生き残るために発達してきているので、どうしても「生き残る」ことを前提とします。
つまり、人生で分かれ道があれば、必ず生き残りやすい選択肢を選ぶようになっています。生き残るには物質的に豊かであればいいので、現代社会では金儲けが人生の最優先事項となり、それ以外の精神性を重んじることは蔑ろにされる傾向にあるのです。例えば、忠義のために愛のために己が犠牲になって死ぬなどということは合理主義の世の中ではありえないということになります。
一方で、中世以前の世の中では、武士道、騎士道、宗教などの心の拠り所、精神修養は欠かせないものでした。教育では精神性を高みに持っていくにはどうするか、
徳を積むにはどうするかということが教えられ、それによって、自らの人生を充実させることに主眼が置かれていました。金儲けの技術を磨くなどということは、野卑なこととして考えられていました。
現代人の価値観は生き残ることに前提があるので、忠義のため、愛のため、叶わぬ崇高な理想のために死ぬ道を選ぶような武士道的生き方は全く理解できないかも知れませんが、中世以前においては人類として物質的豊かさを得るよりももっともっと重要なことで、そういう感覚が普通だったのです。
執行草舟さんもよく仰いますが、物質文明をこれ以上続けると人類は滅亡するでしょう。精神的文明を取り戻すには、歴史を学び、昔の人類は何を考え、何を大切にし、生きてきたかを知ることが大切なのだと思います。