2024.08.23科学・理性信仰
おはようございます。今日は科学と理性について少し考えたいと思います。科学も理性も今の世の中では絶対的に良いこととして捉えられますよね。科学・理性の力で産業革命が起き、便利な時代に自分たちは住めていると考えてる方が多い。ある側面ではそれは正しいでしょう。文明の利器は科学と理性の力で生み出されたものです。
しかし、科学や理性が絶対的に正しいもの、良いものと捉えるのはどうでしょうか?私はこの考え方は多くの問題を生む気がします。例えば、科学や理性というものに騙されます。
コロナもそうでした。風邪と同等のウイルスを無症状の人までPCR検査で炙り出して統計値に加え、こんなに感染者が増えていると恐怖を煽り、皆が自粛やマスク、ワクチンに走るように誘導していたことに多くの人は気づきませんでした。なぜなら、統計の数値は絶対、科学が絶対、理性が絶対と考えていたからです。
科学で分からないことは、多いのです。例えば、人間の心については全く解明されていませんし、生命の誕生についてはある程度解明されていますが、ではこの世に一番最初に誕生した人間はどうやって誕生したのか、一番最初に出現した植物の種はどうやって出現したのかについては一切解明されていません。(進化論で猿から人間になったとすると説得力の薄い説はありますが。。)むしろこういった事柄は神話と呼ばれる旧約聖書や古事記などの方が詳しく描写しています。
ミルトンの「失楽園」ではアダムと共に楽園にいたイブを悪魔が唆して、知恵の実を食べてしまったイブに対して神が怒り、楽園を追い出されてしまいます。これは人間が理性を絶対視し、神への畏敬の念を忘れ、思い上がると大変なことになることを象徴しているように思えてなりません。
人間の理性や科学には限界があります。ですから、理性や科学だけで判断すると道を誤るでしょう。理性万能主義は神への畏敬の念を失わせ、この世に物質しか残らないという虚しい唯物史観に我々を追い込むことになりかねません。
少しでも長く続いたものは良いものとして伝統を大事にすること、そして人間として自然に湧き上がる愛情や仁などの精神性を大切にしていくことがこのような世の中で求められているような気がしてなりません。