強いとか、弱いとか。
強い、弱いの物差しってあると思う。
『強いほうが強い』というフレーズが大学の部活ドンパの間で流行ったとき。
「(強い弱いだけで物事判断しないでくれよ)」
と思ったりもした。
(※北大では同期のことをドンパと呼ぶ文化がある)
でも、実は高校生の頃
「やぎは頭が良くていいよね〜」
とチクりとした口調で言う、とある同級生に対して
「(いつもスマホばっかりいじってるやん?私だって勉強してるし。努力すればいいだけの話じゃん)」
と心の中で思ってしまったことがある。
強い側の目線な気がする。
先の部活での話も、北大の体育会系部活なので当時は恵迪寮的なバンカラな?イベントも多くあり、食い極とか、何かとネタをやる文化とか…そういったものに対して私は「弱い側」であったが、
練習そのものに対しては「身体能力高くていいよね」などと言われると「(もっと練習すればいいのに)」とか他人に思ってみたりもしていた。
強い側の目線である。
結局、その人の長所や短所って、所属するコミュニティの中での相対評価では?と思うことがままあるのだが、強いか弱いかも相対評価だなと思う。
縁あって社会人になってからも、場所を移し地元の道場に通っているが、ありがたいことに「弱い側だ」と思うことがよくある。
でも、「強い側」で考えていた過去の自分を思い出すので、着々と努力するしかないなと、その都度思う。
弱い人にも配慮できる人でありたいし、弱い人もらしく生きられる社会は器が広くてとても良いと思う。
そして、弱い自分のことも認めたい。
でも、強い人が頑張っているから配慮できたり、受け入れられたりといった余裕が生まれるのではないか。そういう見方をしてもいいのではないかと、個人的には思う。
社会福祉というものは、働いてお金を稼ぐ人がいて成り立つものであるし、かくいう私だって大量の税金を注ぎ込まれて育てられてきた。
そう考えると私は、強い人になりたいというのが自分に対しての正直な気持ち…だと思う。
でも今の自分は弱いし、弱いところがたくさんあると思ったりもする。
だから明日も頑張ろう
なんてすごく綺麗な言葉は本音からは言えないけど
頑張っている自分でいたいと願う。