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そうか、わたし、ヤングケアラーだったのか。(?)


ヤングケアラーとは、通学や仕事のかたわら、障害や病気のある親や祖父母、年下のきょうだいなどの介護や世話をしている18歳未満の子どもを指す。 家族の病気や障害のために、長期のサポートや介護、見守りを必要とし、それを支える人手が十分にない時には、子どもであってもその役割を引き受けて、家族の世話をする状況が生じる。

いつもながら、すみませぇん。本文とはまるで関係ありませんが、
今日のつっきょるおススメの一曲、
ふるいりほさんの「嫌い」です♬ 是非聴きながらどうぞ。

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今思えば、私はヤングケアラーだったのだなぁ、と最近になってから気がついた。
いや、違うな。あの彼女に比べたら、わたしなんてまだまだ、恵まれた環境だったのではないか。

ネグレクトを受けているこどものいる家に高齢のおじいちゃんやおばあちゃんが住んでいた場合、ネグレクトを受けているこどもは同時にヤングケアラーになる確率が高いのではないかと思う。(つきよる統計)
えてして、ヤングケアラーであるこどもたちは、自分がヤングケアラーであることにすら、気づいていないことが多いのではないかとも、思う。
私も実際、最近になってこの言葉を耳にして、ああ、私はそうだったのかもしれない、という感じだったから。

私は、副業をしている。
大体、夜、訪問する。
高齢の方が多い。
身体にまつわる介助をしている。
色々なひとの人生を垣間見てきた。
私は本来、記憶力があまり良くない。
(そのわりに、若い頃の思い出を最近よく記事にしているが、
覚えてないことはさっぱり思い出せない、ことのほうが多い)
そんな私が、
なぜか、
この副業を始めて6年ほど経つが、
今まで関わってきた人たち、
人たちに関わる、すべての細かなところまで、
ずっと、覚えている。
忘れられないのだ。

訪問する人たちの人生は本当に様々だ。
お金持ちのひと、
貧乏なひと、
家族と一緒に住んでいるひと、
身寄りが誰もいなくて、
重度の認知症があっても、ひとりで住んでいる孤独なひと。

そんな中で、
この仕事をしていると、ヤングケアラーと遭遇することが少なくない。

私が中でも一番印象に残っている子は、初めて出会ったとき、まだ小学生だった。それでも彼女は掃除、洗濯、料理をこなしていた。

お宅へ訪問すると、彼女は嬉しそうに私のあとをぴったりとついてまわって、私のする仕事をしげしげと眺めていた。

お宅は、いわゆるごみ屋敷で、
いや違う、ごみだと思っているのは他人である私たちだけであって、彼女にしてみれば、うずたかく積まれた荷物のどのへんあたりに何があるのか、すべてお見通しだった。

沢山の荷物が部屋のほとんどを埋め尽くしていて、部屋から部屋へ移動するにはからだを真横にしてやっと通れるほどの隙間しかない。
その細い通路の両側には、背丈ほどのモノがびっしりとうず高く積まれている。

私が「清潔なビニール袋が一枚ほしいのだけれど」というと、彼女は「ああ、それね。」と言ってすぐさま正確にその途方もなく積まれたモノの中から、すっと一枚の清潔な未使用のビニール袋を取り出すのだ。

彼女のおじいちゃんのオムツ替えなどが終わって、ある程度、時間が余ったときは、私は台所に向かい、勝手に洗い物を始める。
本当は、ケアマネジャーさんからの指示がないことはしてはいけない決まりになっている。
私の仕事はあくまで彼女のおじいちゃんのおむつ替えをすることだけ、それのみだ。
他のことを、ましてや他の家族のことを勝手にやることは許されていない。

のだけれど、私はやらずにはいられなかった。

なぜなら、
彼女は、幼き日の私のようだったから。

私が茶碗洗いを勝手に始めると彼女は横に来て、
「それ、あなたはやっちゃいけないんだよ。」

よく、知っているな。

「大丈夫、私がやったことは誰にも言わないし、あなたも誰にも言わなければバレないから。やってあげるね。」

彼女は、不思議そうな顔をして、やってもらっても嬉しそうな感じでもない。

私は、それに違和感を感じた。

それでもなお、時間が余った時は、彼女と、彼女のおじいちゃんと、私と三人でベッドに並んで、色々な話をした。

彼女の好きなこと、好きなもの。学校の話、友達の話。
三人で良く笑いながら、なんてことのない話をしていた。

私は、部屋を出なければいけない時間になっても、しばらくずっと3人で話していたことが多かったと思う。

だって、その時間はまるで本当の家族のように、幸せな時間だったから。

私はその家に3年ほどは通ったと思う。
彼女と最後に会った頃はもうすぐ高校生、というぐらいの年だった。
それでも、出会ったときのころと同じように、家にはテレビもなく、年頃の彼女はもちろん携帯も持たされていない。
彼女がいつも聴いているのはラジオだった。
(これは、ごく最近の話である。)
私は、普段、彼女が携帯も持っていなくて、それこそテレビも見れないことを可哀そうに思っていた。

ところが、そうじゃない、そうじゃなかったんだ。

彼女が本当にかわいそうなのは、かわいそうなこどもだと人から思われる、
その瞬間なのだ。

私が以前感じた違和感の正体はこれだった。

彼女にしてみれば、おじいちゃんの身のまわりのこと、掃除や洗濯、料理などをすることは当たり前のことで、それを可哀そうと思われることのほうが彼女にしてみれば違和感しかない、ことだったのではないか。

ああ、そうだった。いつかの私もそうだったのに!

人はすぐに忘れてしまう。
私も幼いころ、自分が可哀そうだと思った事なんて1ミリもなかった。
自分が可哀そうなこどもだと気づかされたのはまわりの関係のない大人たちから。
私は気づかないほうが幸せだったし、人から可哀そうと思われていることが、一番悲しかった。
人から憐れに思われることほど、憐れなことはないのだ。

それを知っていたくせに、私は彼女を可哀そうだと思い、手を貸してしまっていた。
そう、思ってもなお、手を貸すことはやめなかったけれど。

でも、きっと、大人になれば気づくときがくるのだろう。
自分がいかにまわりのこどもと違う家庭環境だったのかを。
でも、どうすることもできない、どうしようもない人生、
抗うことができない、運命に逆らえない人生もあるのだということを。

それでも彼女は、それを知ってもなお、私は私の人生はこれで良かったのだと、そう思うはずだし、

違う、そう思ってほしいと、願わずにはいられない。



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いつもながら本文とはまったく関係ありませんが、・・・と言いたいところですが、今回はわりと関係あるかも、のつっきょるおススメ今日の一冊。

こちらのマンガは作者の山本さほさんの幼少期の実体験にもとづく内容となっております。幼馴染の岡崎さんと筆者の幼少期の交流を中心に描かれています。笑いあり、涙あり。私は大号泣してしまいました。
ちなみに幼馴染の岡崎さんがいわゆるネグレクトを受けていたこどもでした。家はごみ屋敷・・・。でもまるで悲壮感はなく、大爆笑すること間違いなしです(&大号泣も待ってます)。

とにかく、つべこべあーだこーだ言わずに、早く、読んでみて!!
特に昭和生まれの人はマストだす(*´з`)






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