法人組織の存在意義=「チーム」を支えるために必要なこと

2019.3.12  23時ごろ 加筆修正済

もともとはAppBrewというチームの強みを伝えるための資料を作っていたのだが、どうしても話のスコープが広くなる癖があり、この辺りから始めないと収集がつかない気がしたので、背景として軽くまとめて先に公開しておく。
「資本主義」周りはかなりふわっとしたニュアンスで使ってしまっているので、正確性よりは雰囲気で通じればいいと思っているのだが、マサカリは歓迎したい。

基本的な主張を先にまとめると、

・法人組織の概念はそれほど固定化したものではない
・昨今の急激な変化に合わせて、時代遅れな仕組みは変えていくべき

ということだ。
時代にそぐわない仕組みは長くは続かないし、一刻も早く変えていかないと個人としても会社としても、ひいては地域・国家・人類としても損をし続けることになるなと思っているので、ぜひご一読されたい。

資本主義

近代における人類の発展の最も根底にあるのが、「資本主義」と思う。

いわゆる資本主義は、もともとは交換価値の共通化・利便性のために発明された貨幣・貨幣経済に端を発する。これを媒介とし、かつての封建制から権力を比較的交換可能な形に委譲し、経済合理性を共通言語とした。

※ 資本主義の根底は「自己維持を目的とした個体・集団と資源の在り方」にあると思うが、これはまたの機会

法人組織に関しては、大航海時代・東インド会社として初めて成立したと言われるのが株式会社だ。所有と経営・執行を分離し、各々のステークホルダーにとってリスク分散・リターン分配を行う画期的な仕組みで、資本主義と非常に相性良くその効果を発揮した。

元は手段であったそれらだが、いつしかそれら自体を目的とし、人間、特に労働者=ほとんどの人々を「疎外」していると言われるようになった。これらの仕組みは少なくとも今この瞬間においても最良のシステム=道具と思うが、常に欠点もはらんでいるし、時代が加速度的に変化するにつれよりその欠点が浮かび上がっているように感じる。

当たり前のように存在するこれらだが、意外と歴史も浅く、時代に合わせて変えていけると思っているのでそれについて話したい。

時代錯誤なシステム

近現代において、人類は飛躍をみた。
その背景は以下のような感じだと思っている。

1. 人類の生産性は高まり続けている
近代における生産性の向上は、「生命の維持に要する生産」を相対的に著しく小さくし、「それ以外の営み」のための余裕を生んだ。その余裕が、さらに生産性を高めてきた。これにつれあらゆる集団的なリスク分散システムの必要性も様々な側面で相対的に小さくなってきている。
=「生命維持を保証する」ための労力が減った
2. 情報爆発が起こっている
技術が進歩した結果として、通信のグローバル化・計算機の高性能化・製造の精緻化などが起こった。これらは、情報ひいてはあらゆる資源について分散化・細分化・高速化をおこし、なめらかな交換や流通を可能にした。
その一環で、以前は発揮出来なかった個々の生産性も大きく向上し、個体間での格差もより大きく顕れるようになった。
あらゆる資源に関する流動性が飛躍的に高まった
個人がエンパワーメントされ、産業発展の中失われてきた「主体」を取り戻してきた
3. これらの動きは加速度的に起こっている

近年ではシェアリングエコノミー・暗号通貨など法制度が明確に追いつかない分野や、規制や既存の権益なしにはもはや存在できない産業などが各所に見られ、以前にも増して加速度的に起こる革新は早すぎる=痛みを伴う変化になりつつある。

これらを背景をすると、近代国家において形作られてきたシステム(税制・法人制度などをはじめとする国、既存の流通や資本を支配する企業たち)の一部は時代に則していない状態になっているように思える。それについて具体的に次章で述べたい。

※ この加速度的な変化がどうなるのかは誰もわからないのだが、個人的には「人間の個体」という単位それ自体がどこかでボトルネックになるのではと考えている。いわゆる「シンギュラリティ」がどのような形でそれを突破していくのかあるいはしないのかは、かなりの関心事ではある。

法人はどうあるべきか

法人の本質は、所有者・経営者・執行者間の契約によって事業にかかる資本的なリスクを各々分散するための仕組みであったが、「疎外」故に、実質的には資本の論理を優先する形で階層化していた。独占者=所有者にとってのリスク分散が主で、経営者、ましてや執行者(労働者)の立場は弱かった。

近現代に生まれた流動性や個々の力の増加・格差の広がり等は、もちろん法人に関しても、よりフラットで本質的に分散された契約形態を形作るように働いてきた。ベンチャー投資(VCもエンジェルも)の広がり自体もそうだし、新しい資金繰り(CF,ICO)や、副業の広がり、SO発行が一般的になってきたこともそうだ。
これらは、前項1,2,3を鑑みると当然と言える。こういった加速する流れの中で相対的に高い生産性を保ち続けるための要請は日に日に増え、そして変化している。

ただ、完全に独立した各個体で十分である=法人組織がいらないかというと、少なくとも現状ではそうは思わない。
人類の強みは共同作業である。認知・意志の疎通において地球上最も卓越し、協力することを知った故に現在の発展がある。

資本主義が完全でないながら有用であり、運用上あらゆる方法で修正を試みられてきたと同様に、共同作業=チームで仕事をする上では法人という仕組み・プロトコルは非常に有用だし、修正しながら使い続けられるべきものだとも思う。
蓋しどの時代においてもすべきことは、時代背景に応じて、本質的に必要なリスク分散・資本投入とリターンの分配を適切に担うようその仕組みを出来る限り早期にかつ適切に修正し続けることだ。時に痛みを伴う可能性はあるが、長期的には早期であるほど優位性になる。個人的には、多数の人が過激に感じるくらいがちょうどいいとも思う。

以下、具体的に変えていくべきと個人的に思っている論点をいくつか並べる

(ほぼ)単独解決可能
・所有/経営/執行間の契約の非対称性
・同上、情報の非対称性
・ルール/プロセスの複雑化/階層化
・関連して、意思決定/決裁者の固定化/限定化
(大会社・上場会社は役員会の規定など一部法律上きつい側面もある)

複数社で解決可能
・結果としての人材流動性の低さ=採用プロセスが限定的かつ不透明

法律上きついが解決したい
・人材流動性の低さに関連して雇用形態・労務管理が限定的
・会計の仕組みや、報酬の仕組みが限定的(税制が対応仕切れていない)
・関連して、資金繰り(リターン分配まで含め)の方法が限定的

各々被る・関連する項目もあるが、大体上のようなものがあると思っている。かなり理想主義的な自覚もある。

結局、チームの在り方が変わってきていることの根底には長きに渡る経済合理性の持続的な変化がある。どう転ぼうがここを外してしまうような仕組みは、長くは続かない。
ここまで書いてきたことが、働き方・チームの在り方を変えていくべき理由であり、そして、時代遅れにならないチームの仕組みを作る要件そのものでもあるのだ。

蛇足だが、なぜこのように抽象的に書いているかというと、抽象的な部分=根底からしっかり理解してさえいれば、実践・日常的な情報収拾・他人との会話などから生じる断片的なドグマに惑わされることも、方針が迷子になって二転三転することも、極力少なくできると個人的に思っているからだ。

これを踏まえ近日中に会社紹介資料を公開しようと思うので、そちらも参照されたい。


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