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サイバーエージェント辞めて起業したら、どんどんお金が減っていく地獄の3年間が待っていた

いま僕は「ファンズ」というフィンテックの会社をやっていまして、これからもっともっと伸ばしていきたいと思っています。

そこで採用に力を入れているのですが、面接の場面などでよく「なんでこの会社作ったんですか?」とか「どうやってこのサービスができたんですか?」と聞かれます。

まだ僕らは志半ばだし、成功もしていません。過去を振り返るようなフェーズではないのですが、採用担当から「これまでのストーリーをきちんとまとめてください」と詰められまして(笑)、ちょっと気が引けるのですがnoteにまとめてみようと思った次第です。

僕は、なにかしら飛び抜けた才能があるわけではありません。努力家でもありません。もともとめんどくさがりで、だらしない性格でもあります。

そんな僕がどのようにスタートアップを立ち上げ、経営を続けることができているのか? せっかくなので、少しでも僕の話が偶然読んでくれた方のヒントになったらいいなと思っています。

社会人1年目は死ぬほど楽しかった

新卒で入社したのはサイバーエージェント。

入社して2年目に退職してしまったので、多くを語る資格はありませんが、本当に素晴らしい会社でした。

サイバーで僕はひたすらネット広告の営業に明け暮れていました。「働き方改革」という言葉もなかった時代です。寝る間も惜しんで、がむしゃらに働いていました。

大変ではあったのですが、時間を忘れるぐらい楽しかったんですよね。同期は60人くらいいて、仲のいい何人かでよく飲みに行ったりしてました。気が合う人も多く、スノボ旅行に行ったり、楽しく社会人生活をエンジョイしていました。

「会社員じゃ勝てない」と悟る

ただ、1年ほど仕事をしていると悟るのです。

「会社員として戦うのは厳しいな……」と。

僕はいわゆる「一浪一留」です。だから同い歳の人が先輩だったりするわけですが、その先輩なんかを見ていると完成度がぜんぜん違うわけです。まわりが優秀すぎて、ぜんぜん通用しない。自分の能力が低くて、会社員として勝っていくイメージはまったく湧きませんでした。

しかも僕は当時、請求書を出したり、ものごとをきっちり管理することも苦手でした。組織のなかで出世していくには、そういう細かいことをできることが重要です。

僕はそのあたりの能力も低くて、ダメダメでした。それで「このままやってても厳しいな……」と思っていたんです。

辞表を出したら、僕だけだった

入社から丸2年が経った春。

僕は会社を辞めます。

実は入社する前から、友だちと「一緒に起業しようぜ」とよく話していました。サイバーに入社してからも週末にミーティングをして、起業のアイデアを出しあっていたんです。

「そろそろ機も熟してきたし、起業しようぜ!」という話になり、僕は辞表を出しました。

友だちに「辞表出してきたよ」と伝えると、そいつはこう言うのです。

「ごめん、ちょっと俺辞めれなくなったわ」と。

「……マジか」と思いました。

起業1年目で身につけた力

いきなり一人で起業することになってしまった。

「さて、どうしたもんかな」と思っていたら、仲のいい友だちから「ちょうど起業したいって言ってるやつがいるから紹介するよ」と言われました。会ってみるとすごく気があったので、そのまま勢いで一緒に会社をやることにしました。

起業したはいいものの、何をビジネスにするかは決まっていませんでした。とにかく「起業したくて起業した」という感じだったのです。

僕らは「ま、とりあえずホームページでも作りますか」くらいのノリで、ウェブ制作をやることにしました。そのときの心境は「超ワクワク」です。「よし、やってやるぞ!!」と思っていました。

ただ実際は……そこからずっとハマっていたのは「ゲーム」でした。

オフィスにゲーム機を置いてしまったのです。「ベンチャーのオフィスってゲームあるよね?」みたいなステレオタイプで「このほうが自由でカッコいい」みたいに思っていたんです。

バカでしたね。

結局、起業して1年間で身につけたのは「ウイイレ」で勝つ力だけでした。ウイイレだけはめちゃくちゃ強くなっていました。

0から信頼を積み上げていく

オフィスは、地震が来たら潰れそうな青山の古びたマンションの一室。

初年度は「ウイイレ」しかやってないので利益なんてあるわけがありません。月給は8万円。個人の貯金もぜんぜんなくて、80円で2つ入ってるパンをよく食べていました。

無計画にも程がある……。

1年経って「さすがにこれはヤバい」と気づいた僕らは、少しずつ真っ当に営業するようになりました。

パーティーを開いて経営者と知り合い、彼らに「サイトを作りませんか?」と声をかけていきました。そこで小さな実績を作り、それを持って営業に回るわけです。

「ウェブマーケティングと言えばうちです!」といった顔つきで堂々とプレゼンしていました。「うちでサイトを作ったら、来訪者が2.5倍になりました!」というように実績もアピールしていました。

0の場所で小さな実績を生み出し、それを少しずつ積みあげていって、信頼を勝ち得ていく。そういう「わらしべ長者」的なやり方は、このときに学びました。

何もなかった僕らは、そうしてちょっとずつ信頼を獲得していくしかなかったのです。

毎週のように経過報告書を書いていた

当時は、本当に何もない会社だったと思います。

僕らはコーディングができるわけではありません。エンジニアは知り合いの伝手で見つけてきました。構成は僕が考えたりもしていましたが、あとはデザイナーに振って、エンジニアにコーディングしてもらって、納品という流れです。

エンジニア1人、デザイナー1人なのに、プレゼンはどんどんうまくなっていったので、たくさん受注してきてしまいました。すると当然ながら、納品が間に合わない。

むちゃくちゃ炎上するわけです。

今だから話せますが、当時は毎週のように「経過報告書」を書いて謝りに行っていました。「いまはこういう段階でして、来週までには……」とお伝えして「申し訳ございません」ときっちり謝る。何を言われても「おっしゃる通りでございます」と返していました。

とんでもないトラブルが起こり続けたのですが、それでも少しずつウェブ制作の事業はカタチになっていきました。

5〜6年ほど事業を続けていると「インターネット事業を強化したい」という上場している印刷会社と出会い、僕らはその会社の傘下に入ることにしました。

僕も一緒に移籍したのですが「やっぱり自分でもう一度会社を作りたい」という思いが募り、その会社を辞めることになるのです。

起業は「誰がやるか」より「いつ、何をやるか」

「次こそはもっとうまくやりたい……」。

ウェブ制作の仕事をしながらも、横目では華々しく世に出ていくベンチャーを見て、うらやましく思っていました。ゲーム会社やSNSの会社など、僕と同時期に起業した会社はすごく伸びていたのです。大学時代の友人が立ち上げた会社も時流に乗って伸びていました。

かたや僕は……。

こんなに頑張っているのに、ぜんぜん伸びていない。その友人とはそこまでの能力や経験、知識の差はないはずなのに、なぜこんなにも差がついてしまったのだろう?

そこで思ったのが、起業でいちばん大切なのは「誰がやるか」より「いつ、何をやるか」なんじゃないかということでした。

たとえばマーク・ザッカーバーグがラーメン屋をやっていたら、いまほど成功はしていないでしょう。うまくいったかもしれませんが、ここまでの世界的な成功者にはなっていない。

鍵は「いつ、何をやるか」。

ただ、いま僕が持っている知識だと、これまでと同じことしかできません。結局またマーケティングやウェブ制作の会社に行き着くのがオチです。

僕は「ぜんぜん違うことをやらなくては」と思いました。

今度はいきなり起業するのはやめよう。一度いろんな世界を見てみよう。きちんとマーケット選定もしよう。そこから僕は、自分なりにベンチャーのサイトを見たり、海外の情報を集め始めました。

いろんなマーケットを検討する

いろんなマーケットを検討しました。

たとえば「スタンプカードのデジタル版」。お店に行くとスタンプカードを押してくれますが、そのデジタル版を作るのはどうか? 当時はスマホが世に出始めた頃だったんです。

化粧品事業も考えました。工場にお願いして試作品まで作りました。今でいう「D2C」をやろうとしていたんです。ただ、化粧品は大量製造するためにはロット数が必要です。そこまで作るのは大変そうだし、そもそもそこまで情熱を持てないな、ということでやめました。

リサーチしていくなかで「海外で個人間金融みたいなものが盛りあがってきている」という情報を耳にしました。どうも「クラウドファンディング」というものが盛りあがってきているらしい。

最初は「おもしろそうだな」と思ったものの、金融なんてよくわからない。だからそれを事業にしようなんて、そのときは思っていませんでした。

再び「会社員」になる

そんなとき、たまたま昔からの先輩から声がかかりました。

「クラウドファンディングの事業をやるんだけど、藤田くんてマーケティング得意だよね? ちょっと手伝ってくれない?」

先輩は証券会社をM&Aして融資型のクラウドファンディングをやろうとしていました。

ちょうど気になっていた分野ではあるし、自分の知らない知識も手に入る。「おもしろいかもしれないな」と思ってその会社に入ることにしました。

経営者から再び会社員になることに少しだけ抵抗はありました。

でも、6年ほど自分で会社を経営するなかですごく経営者の気持ちがわかるようになっていました。サイバーで働いていたときの僕は何も考えていませんでしたが、6年間の経営者生活を経たことで「できる社員」がどういうものかがわかるようになっていました。

「社長はこういうことを思ってるだろうな」とか「こう言われたらうれしいだろうな」みたいなものが直感的にわかる。当時の社長からはだいぶ重宝がられていたと思います(たぶん)。

「自分ならこうやるのに」

その会社では3年間、強制的にどっぷり金融業界に浸かり、金融についていろいろと学ぶことができました。

ただ業界に浸かって、いろいろわかるようになってくると、一方でこう思うようにもなります。

「ここ、もうちょっと自分ならこうやってできるのにな」「もう少し、こうしたらいいのにな」

その会社の事業は、簡単に言えば「銀行でお金を借りるのが難しい会社に、ちょっと高めの金利でお金を貸す。そして投資家に高いリターンで返す」というもの。ユニークな事業ではあったのですが、一方で「なかなか金融のメインストリームにはなりにくいかもな」とも感じていました。

金融というのはビジネスにおいては「血流」です。ものすごく大切なもの。だから僕は「もっとメジャーになるような金融のサービスを作りたい」と思ったのです。

そういった思いが募っていくなかで「そろそろ独立して、自分でやろうかな」という気持ちになっていきました。

運命を変えた人物

そんなときに出会ったのが、僕の運命を変えることになる人物。

のちに共同創業者となる柴田陽さんでした。

柴田さんはマッキンゼー出身の起業家で、バーコード価格比較アプリやタクシー配車アプリなどを世に送り出し、何度も会社を創業してエグジットしたことのある有名人です。

そんな柴田さんに、たまたま人の繋がりで会えることになったのです。

初めて会ったのはヤギがいる渋谷のカフェでした。彼は自分の事業を楽天に売却してシリコンバレーから日本に帰ってきたタイミングでした。ちょうど日本で金融系のビジネスをやりたいと思っていたそうです。

その時点では僕も、何か具体的な事業計画があったわけではありませんでした。ただ柴田さんといろいろ話していると「こういうことができたらおもしろそうですよね」という感じで事業の大枠が見えてきました。

柴田さんはクラウドファンディングについては門外漢でしたが、僕には3年間の経験があります。

僕の「金融の知識」と彼の「スタートアップ経営ノウハウ」が合わされば、すごくおもしろいことになりそうだと確信したのです。

電光石火

思い立ったが吉日。

その日の23時くらいに、僕は御礼とともに事業計画をバーッとまとめて柴田さんにメールしました。

「今日、お話のなかにあったアプリですが、自分なりにこんな機能があればいいなと思うものをまとめました。また、かなり簡易的ではありますが、売上予測も作ってみました」というぐあいです。

実際に送ったメール

簡単なものではあったのですが、顧客の課題、顧客の収益モデル、市場リスクなども整理して送りました。

程なくして返事がありました。

「素晴らしいですね。一緒にやりませんか?」

そんな感じで、会ったその日に共同創業することが決まったのです。まさに電光石火の出来事でした。

(ちなみに柴田さんは今、Tailor(テイラー)というスタートアップを経営されていますが、いまだに頻繁に経営のアドバイスをもらっていて、すごく頼りになる存在です。)

まず「メディア事業」から始めた

そのときに送った事業の構想は「お金を貸したい個人と資金調達したい企業が集うマーケットプレイス」というものでした。いまの「Funds」とほぼ同じです。

ただその事業をやるためには「金融業のライセンス」登録が必要でした。

ライセンスを取得するのには時間もかかるし、ハードルが高い。そこでまずは「メディア事業」から始めることにしました。

会社を作って最初に取り組んだのは「比較サイト」の運営。当時は「個人間の金融サイト」がたくさん立ち上がっているタイミングだったので、それらを比較するサイトがあったらニーズがあるだろうと思ったのです。

メディアであれば、ライセンスは必要ありませんし、メディアを通じて個人投資家との接点を作っておけば、いざ「Funds」のサービスを開始したときもスタートダッシュが切れるだろう、という計算もありました。

自分で記事を書く地道な日々

メディアの名前は「クラウドポート」でした。

有名なブロガーさんに執筆をお願いしたりもしましたが、最初は自分でもよく記事を書いていました。

カメラを持って、取材に行くわけです。

業界で問題が起こったら、突撃していって「なぜこんな問題が起こったんですか?」と聞きに行ったりもしていました。「ソーシャルレンディング業界の週刊文春だね」と言われたこともありました。

メディアは順調に伸びていきました。「クラウドファンディング」などの主要なワードでも検索で上位に上がってくるようになりました。

ただ、メディアはあくまで「自社サービスを始めるための布石」。それだけではなかなか収益は厳しいものがありました。各プラットフォームへの送客でアフィリエイト報酬をもらったり、プレミアムユーザーへの課金なども考えましたが、微々たるものでした。

僕らはなるべく早くライセンスを取得して、本当にやりたい「Funds」の事業を始める必要がありました。

ライセンス取得というハードシングス

ライセンスを取得するためには、体制を整える必要があります。

僕らは会社設立からほどなくして、今、監査役を努めてくださっている河野さんという方に「コンプライアンスオフィサー」として入ってもらいました。河野さんは、過去に銀行や証券会社でコンプライアンスオフィサーを務めた経験豊富な方です。

その後、弁護士の高尾さんも入社し、2人を中心にライセンスの取得を始めていきました。高尾さんは、弁護士ながら事業を自分で作っていく気概のある方で、彼が入ってくれたことは、その後の会社の成長にとってすごく大きいことでした。今は当社の取締役CLOとなり大活躍しています。

「体制は万全だ」。

だけど、ひとつ誤算がありました。

ライセンスの取得が思った以上に進まないのです。

僕らは「第二種金融商品取引業」というライセンスが必要でした。それを取得するためには「こういう事業をやります」と書いた概要書を持って、所管する役所に説明に行く必要があります。

「今度、僕らはこういう事業をやるので、金融業の登録を受けたいです」と話をしにいく。するとそれに対して、いろいろな質問が返ってきます。

「ここはどうされますか?」「これはどういう意味ですか?」

僕らはそれに対して「こう考えています」という文章をバーッと書いて返すわけです。すると、さらにそれへの返信が返ってくる。

当然ながら役所側も、丁寧に調べて疑問点があればそれをひとつひとつ潰していかなければなりません。

結果、一回一回のやりとりのインターバルが1ヶ月くらいかかるのです。

回答を提出すると、それへの返事が1ヶ月後。それをまた打ち返すと、さらに1ヶ月後に返事が来る。あたりまえですが、あいまいな回答は許されません。細部までしっかりと詰めて返答することが求められます。

このやり取りは何ヶ月にも渡って何度も繰り返されました。

僕は「これ、いつ終わるんだろう……」と不安になりました。

金融業はお客さまの大事なお金を預かる、とても責任重大な仕事です。あらゆる状況に備えて万全な準備をすることは当然のこと。ただ、僕らの認識が甘かった……。「金融業をやるのって、こんなに大変なことなんだ」ということを、ここでようやく理解できたのです。

自分たちが至らなかったせいで、ライセンスの取得までに多くの時間を要しました。

何を頑張ればいいかわからない

たとえば「営業がうまくいかない」という問題であれば、頑張りようがあります。「開発が進まない」ということでも、エンジニアを採用するとか、なにかしら対処のしようがある。

でも、ライセンスをもらうようなことは、自分たちだけ対処できるものでもない。これには参りました。

結局、いろいろな準備期間も含めると、ライセンスを取得できるまで2年くらいかかりました。

そのあいだのお金のやりくりも大変でした。

金融の事業というのは、ものすごくお金がかかるのです。ライセンスを取得するためには、しっかりとした体制の整備が求められます。つまり売上が立つ前から、人を採用しないといけません。でも先ほどお伝えしたように比較サイトの売上は微微たるもの。調達したお金だけが頼りでした。

当時、いくつかのVCが出資してくれていたのですが、「僕らは比較サイトで1位を取ってるので、この事業をやればすぐにお客さんが来ます」と伝えていました。その言葉を信じてくれて出資してくれていたのです。

だからライセンスがなかなか取れないときは、すごく焦りました。僕らを信じて応援してくれる人たちを絶対に裏切るわけにはいかない。

社員のみんなにも「大丈夫、大丈夫。すぐ取れるから」と言って平気な顔をしていました。でも内心は「本当に取れるのかな」と不安で仕方がなかった……。

いま振り返ると、ここがいちばんのハードシングスだったと思います。

会社設立は2016年ですが「Funds」のサービスを開始できたのは2019年。この時期は、思い出すのも辛いくらいの地獄の3年間でした。

シンプルな商品で「貯蓄から投資へ」を実現する

いざサービスがスタートしたあとも、いろいろあったのですが、そこを話し始めると長くなってしまうので、次回以降に書きたいと思います。

最後に少しだけ「なぜ僕らが資産運用のサービスをやっているのか?」についてお話しさせてください。

日本はご存知のとおり「少子高齢化」という問題を抱えています。人口はどんどん減っていて、高齢者が増えています。

いまの年金制度は、僕らが支払っているお金が僕らのために使われるわけではありません。僕らが納めた年金は「いまの高齢者」に支払われているんです。

だから高齢者が増えていって、現役世代がどんどん減っていくと、一人当たりの負担はどんどん大きくなっていきます。

僕らがおじいちゃんおばあちゃんになるころには、今の高齢者と同じ金額の年金をもらうのは基本的に難しい、と言われています。そこで国は「資産運用してくださいね!」と20年くらい前からずっと言っているわけですが、一向に進んでいないのが現状です。

ではなぜ、日本人は資産運用しないのか?

そういうアンケートを取ってみると、こんな意見が多くあがってきます。

「損するのがイヤ」「投資の知識がない」「価格変動がイヤ」「ギャンブルみたい」……。

そこで僕はこう考えました。

であれば、損しにくくて、専門知識もいらなくて、価格変動もない。コツコツ安定的に増やせる。そんな資産運用サービスがあればいいんじゃないか?

僕らのサービス「Funds」は、最初から利回りが決まってて、期間も決まってて、値動きがありません。これくらいシンプルな商品だったら誰でもできるはずだと思ったのです。

「金融の素人」だからこそできること

僕は金融に対して、何か強烈な原体験があるわけではありません。

でも、そういう「金融の素人」だからこそできることがあると思っています。金融のややこしさ、難しさを肌で感じている。

だからこそ「とにかくめちゃくちゃシンプルな商品を作りたい」と思うことができました。

金融というのは「なんだか怖い」「難しそう」というイメージがあります。そこを僕は壊したい。余計なものをなるべくそぎ落として、シンプルな商品にして届けたい。

原体験こそありませんが、いろんなことを知れば知るほど「この国の課題を解決しなければ」という使命感は高まってきています。このサービスに骨を埋めるつもりで今日も頑張っています。

僕らは、まだまだ道半ばです。「国民的な資産運用サービスを創る」ためには、同じ志を持つ仲間が必要です。

絶賛採用中ですので、少しでも興味をもっていただけたらお気軽にご連絡ください!

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