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視野を広げるとは〜スイスからの実習生たちの思い出

8月、お盆を過ぎた頃…

毎年この季節になると、スイスのフォレスター学校からの実習生(インターンシップ生)たちのことに思いをはせる。

フォレスター学校というのはその名の通りフォレスター(森林管理のエキスパート)を養成するための学校で、スイスのフォレスターは国家資格であり職業でもある。

スイスで林業を職業とするためには、義務教育を修了した後に林業事業所などで働きながら職業訓練校(3カ年)に通い、まず森林作業員の国家資格を取得しなければならない。卒業後はプロの技能者として職を全うすることもできるし、ステップアップしたい人は実務経験を経た後、高等職業訓練校(フォレスター学校)に進むこともできる。

スイス林業の人材育成の仕組み(近自然森づくり協会作成)

フォレスター学校はフルタイムの2年制。その中で3度のインターンシップに学外に出なければならず、最後の3回めのインターンシップ(卒業実習)は8週間で、各学生の卒業論文の課題・フィールドとなることが多い。

私がスイス林業を学ぶためにお世話になっているフォレスター学校の「リース林業教育センター」(以下「リース校」)では、この3回めのインターンシップを海外で行うことを推奨している。それはなぜなのかをリース校の校長先生(当時)のアランに尋ねると、こういう答えが返ってきた。

それはね、いまのうちにフォレスターとしての視野を広げるためだよ。

実際にフォレスターになった際に求められるのは課題解決力。そのためには林業に関わる技術だけではなくて、情報収集力、分析力、コミュニケーション力が必要になる。インターンシップはそれらの力がどれだけ身についたかを確認することのできる良いチャンスだ。

一方で、一旦フォレスター職に就くと、定年までの長い年月を担当区というとても狭い世界で仕事を全うしなければならない(※スイスのフォレスターは公務員身分だが、原則として異動・転勤がない)。

もちろん、業界団体が主催する研修に参加したり、上級フォレスター(州の行政マン)が様々な情報をもたらしてくれたりはする。しかし、フォレスターというのはとにかく多忙な職業。長期で学びに出かけるという機会はまずないと言って差し支えない。

フォレスターはその制度上、どうしても視野が狭くなりがちだとアランは言う。現代の林業の課題はローカルでは対応できなくなってきているので、これはネガティブな要素だ、とも。

だから、まだ時間が使えるフォレスターの卵(学生)のうちに違う文化に触れることができれば、彼らの視野は大きく広がり、それは生涯の財産となることだろう。リース校が海外で卒業実習を行うことを推奨しているのは、こういった背景や考えがある。なんとなく、ではなく明確な理由がある。

そうはいっても、多くの学生達は自分と同じ言語圏(ドイツ語・フランス語・イタリア語)か、英語が現場で普通に通じる地域を選ぶのがせいぜいだ。過去にはアフリカに行った学生もいるらしいが、それはフランス語がその国の公用語だというアドバンテージがあったことも大きい。

私は2013年に自社で、2017年に奈良県が受け入れたときのお手伝いで、リース校からのインターンシップ生に関わった。2013年の受け入れは同校からはアジア初だった。

上記したように、普通は身近なところで済ませがちなものを、わざわざ遠い日本まで来る学生というのは…相当の変わり者優秀だということだ。リース校からは日本に過去4回インターンシップ生が派遣されているが、ほぼ全員が成績上位で卒業しているのはその証左だろう。

いずれの回も8週間はあっという間に過ぎ去った。お互いに十分とは言えない英語のコミュニケーションの中で、彼らの人間関係を見抜く能力にはたびたび舌を巻いた。日本のあらゆるところに散在する非合理的な仕組み、目的や目標が何なのかわからない、自分の意見を言わない文化、意思決定の遅さ(あるいは決まらない)には辟易していたと思うが、総じて楽しんでくれていたようだ。

インターンシップの最後には関係者を集めて報告会を行った。各学生が自分のテーマと課題解決策をプレゼンし、その内容は数週間後にレポートとなって、それが卒業論文となる。

インターンシップと卒業論文の評価をするのが、ちょうど今の時期(お盆明けから9月中旬にかけて)になる。評価は学校の教官だけではなく、インターンシップの受け入れ側も評価を求められる。

その評価点数は卒業試験(フォレスター国家資格試験)に加算されるので、責任重大だ。例えば、卒業論文の評価方法は以下の通り。

1.実際性(配点40%)
レポートで提案された内容が、実際の現場で有益となるか、実現可能かが評価される。科学的に正しいとされることでも、資金背景やインフラの現状にそぐわなかったり、地域の人々に受け入れられなければ、実現は不可能。つまり、課題解決とは技術的課題だけではなく、経営・対人・対社会関係の解決のための具体的提案も求められる。この配点率が最も大きいことに注目。

2.論理性・系統性(配点20%)
レポートのの構成や記述が系統的に展開しているか、自己検証(比較検証)を行ったかが評価される。論理的な構成は、目的に対して提案内容を正しく導く。ここでは創造性、独創性を発揮したかも評価対象になる。

3.わかりやすさ(配点20%)
レポートの文法や構成は正しいか、図や表は読みやすいか、要旨と摘要、資料の引用はわかりやすいかが評価される。どんなに実際的で論理的な内容でも、伝わらなければフォレスターの提案として不適格。

4.プレゼンテーション(配点20%)
実際のフォレスターの仕事は、レポートを書いて関係者に読んでもらうわけではない。論文の内容を要約して15分〜20分の口頭プレゼンテーションを行うことにより、森林所有者や納税者に説明する能力を問う。

ある教育体系において、どのような人材の育成を目指しているのかを知りたい場合、その仕組みやカリキュラムの内容を調査するという方法があるが、合わせて評価方法を知ることで、理解がさらに深まる。

実は、インターンシップ生の報告会で、毎回参加者から出る感想がある。それは「研究としてはあまり高級ではないよね」というもの。それに対する私の感想は、「うちらの業界、そういうとこやで…」だ。

まず、研究者育成と職業訓練の違いを認識していない。その認識のままで人材育成を考えたらどうなるのか、ということだ。しかしそれは、そう受け取る側の責任というよりも、変えていこうとする我々の伝え方の問題なのだろう。

スイスからの若者たちが提案してくれたことで、奈良県内でいくつか実際に採用されているものもあるし、報告会では受け入れ先の旅館の女将さんたちが話を聞きに来てくれたりする。彼らがどのようにそれぞれの地域で振る舞っていたか、受け入れられていたかを知ることのできるエピソードだ。

このインターンシップ生受け入れというプロジェクトに参加する日本側の関係者は思うことだろう。ああ、職業訓練というのはこういうことかと、即戦力とはこういうことかと、実務者とはこういうことかと。

毎回、私はインターンシップ生たちに最後に聞くことがある。それは「君たちの視野は広がったかい?」ということ。答えは「大いにイエス!」だ。さらに全員が「得難い経験をした」と付け加える。

それはたとえネガティブなことであっても、これまでの自分たちの環境がいかに恵まれていたかを知ることができた、と話す学生もいた。そこには勝敗や上下や善悪ではなく、とてもフラットなものの見方が存在している。

今では立派なフォレスターとなってスイスの各地で活躍する彼ら。スイスに行くときに再会することは私にとっては大きな楽しみの一つになっているが、そのたびに「日本での経験は本当に大きかったよ」と繰り返し言ってくれるのは、たぶん本心からだと思う。


さかなクンが、とある講演会でいじめの話になったときに、ある言葉を残している。

魚は広い海の中ならこんなことはないのに、小さな水槽に閉じこめると、なぜか "いじめ" が始まるんです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類でも。

これは、人はなぜ視野を広く持とうと呼びかけるのか、そのことにどのような意味があるのかを考えるときに重要なことを示唆していると思う。ムラというのは生き延びるうえで安全保障にもなれば、破滅のシステムにもなりうる。

では視野を広げるためには海外に出ればよいのか、旅をすれば良いのかというと、そうではないので難しい。

私は時折、あなたは世界を知っていますよね=視野が広いですよね、という趣旨の言葉を投げかけられることがある。それを聞いて、私はただ苦笑するしかない。

世界といっても、自分が行ったことがあるのは10カ国にも満たない。しかも仕事をした経験のあるのは2カ国に過ぎない。その程度のことというのは言っている方もわかっていて、だから、一見褒めているような言葉にはウラがあるわけだ。

それは「あなたは日本のことは良く知らないですよね(中途半端な人ですね)」というニュアンス。もちろん素で感心してくださる方もいることにはいるが、オトナというものはそういうものだ。

スイスに行き初めて実際に浮かれていた時期というのはあった。そのときに森林生態学者の藤森隆郎先生から「あなたは面白そうなことをやっているね。でも…足元もしっかりね。」と声をかけていただいた。

あの経験がなければ、自分は未だに「視野が広いですね」という言葉を額面通り受け取っていたかもしれない。

視野というとどうしても左右方向のことを考えてしまうが、上下方向も大事なのだなあというおはなし。そのあたり、土台がしっかりしている人は、視野を広げる数少ないチャンスを逃さずモノにできるのだろう。

現場人にとっては、その土台作りが義務教育から続く職業訓練なわけだ。

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