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忘れたくない記憶のメモ



私には、大学に入学した時からずっと仲が良い友達がいる。

今日は、私の支えになっている友達のお話。

最近、卒業式の時のことを、よく思い出す。
ずっと前から、仲の良い友達と三人で卒業式の日に袴を着てプリクラを撮る約束をしていた。
プリクラを3人で撮るのはこの時が初めてだった。
あんなにこだわっていたJK時代とは打って変わって、大学生になって、加工写真もプリクラを撮ることがなくなった。

この日はどうしても、晴れ姿で記念に残したかった。

大学4回生の時は、それぞれ卒業制作に追われ、集まることがほとんどなかった。たまに、キャンパス内でたまにすれ違うと、元気が出たものだ。
お互いのことを噂でくらいしか聞けておらず、話したいことは山積みだった。

3人は、所属していたゼミもバラバラで、コミュニティもそれぞれにあって、式の前後もそれぞれで過ごしていた。

卒業式が終わって、何とか30分だけ時間を作って集合した。
その時間は幻だったかのようにあっという間で楽しかった。

プリクラを撮り終わった後、少し歩くと小さな交差点に辿り着いた。

立ち止まる私たち。

「また明日ね」

卒業式の次の日は、卒業パーティーでまた会う予定があった。

「また明日ね」と言えるのっていいね。

きっと今日が最後の「また明日ね」と言える日だね。

そう言い合って「また明日ね」を噛み締めた。


「また、明日ね」

手を振りながら、3人で言い合って、3方向に向かって歩いて行った。

卒業して、それぞれの進路に向かうように。

たった4年間、一緒だっただけ。その4年間もいつも一緒だったわけではない。

それでも、大好きで大切で、かけがえのない存在だった。

その時撮ったプリクラは、今でもスマホケースに挟んである。

学校という場所はすごいところで、予定していなくても授業が被っていなくても、キャンパス内で会うことができる。
挨拶を交わすだけでも、必ず笑顔になれる瞬間がある。

卒業して半年、あれは青春だったと思い返す。

住む場所も、仕事も環境も変わって、いろんなことを思い出す。

京都で過ごした4年間は本当に濃いものだった。

たくさんの素敵な友達に恵まれて感謝しかない。

コロナ禍だったから、初めは集まれなくて、オンラインで人狼をしていた。
写真は大半がマスク姿だけど、みんないい顔をしている。

今日泊まってもいい?という連絡、女子寮のように私の家に置いてあった友達の私物たち。

真夜中のドライブ。
お決まりの音楽。
カラオケでのデュエット。
二十歳の誕生日会。
プレゼント交換、バースデームービー。

友達の家での宅飲み、カードゲーム、深夜に騒いで隣の人に壁を叩かれたこと。
みんなでお金出し合って防音シート買うか迷ったけど、結局買わなくて夜中は静かに遊んだこと。

いつの日か、開発した「マーライオンゲーム」
集まる度に思い出してやってみる。

自由人の集まりだから、みんな来る時間、帰る時間はバラバラで、旅行の時すらバラバラで、全員が集まる時間も少なかった。

卒業前、最後に旅行に行った。ノープランで出入り自由の旅行だった。

1日目の夜だけ泊まるところだけ決めていた。

バーベキューの材料を持って数人で先に向かった。乗るバスを間違えて、1時間歩くことになった。お酒、お肉、重いものばかり。
気を紛らわすために歌を歌ったり、距離を計算したり。

着いたら雨と戦いながらバーベキューをして、23時くらいに参加者全員が集まった。
みんなが集まれるのは、その夜だけだった。

ゆるゆると会話しているだけの時間を、一人がこっそり動画を撮っていた。
歯磨きをしている人がいて、寝そうな人がいて、ぼうっとしている人がいて、お酒を飲んでいる人がいて、お湯を沸かしている人がいて、それぞれに過ごしながら話していて、時にみんなで笑って。
誰も無理してなくて、そのままの自分でそこに存在していて、家族のような、親友のような、安心感がそこにあった。

時々見返して、温かい気持ちになる。


今は、もう「また明日ね」がなくて、
会う度、「久しぶり」「元気でね」という会話を交わしている。

私は会社に就職していないから、毎日同じ時間に、同じ場所に行くことや同じ人に会うことがない。家から出ない日もあるし、いろんな人に出会う日もある。

ゆったりと、時には早く流れていく時間の中で、時々友達に会うとホッとする。


会いたい人たちにまた会うために、会えるように、

今日も明日も生きようと思う。


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