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【起業家成長日記vol.1】「リーダーシップ」という言葉の本質的な意味を考えてみた 

「会社や企業を評価する」一体どこを見てそれを評価しているのか疑問に思ったことはないだろうか。

その指標としても最も有効的であると考えるのが、「誰がリーダーであるか」だ

最初のnoteは、自分の思う「リーダーシップ」の本質的な意味を自由に書こうと思う。

リーダーを見る上でのポイントはたった1つ

早速本題に入るのだが、リーダーシップという言葉の意味を人々はどう捉えているのだろうか

例えば、CEOや取締役という言葉(=肩書き)。
多くの人がこの言葉に魅力を感じたことがあるのではないだろうか。一方、裏を返せば、「なぜこんなにも響きがいいのか」考えたことのある人は少ないのではないだろうか

ただ、それを考える余裕もなければ、なぜ考えるべきかわからない人も多い。
なぜなら、その立場を欲してもいないし、無理ゲーであると考えるからだ。

リーダーシップというのはただの言葉、抽象的でありながら概念的なものに過ぎない大事なのはその地位にいることそのものではなく、「その地位に立つ人間としてどのような振る舞いをしているのか」だ。

これまでの歴史の中で評価され賞賛される対象の多くが「CEO」や「取締役」にあった。例えば、Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズや、Facebookのマーク・ザッカーバーグなど。

ビジネスの世界に興味のない人物であっても彼らの名を知っている人は多くいることだろう。
そしてこれが、「リーダーの本質を備えているかどうか」に強く作用しているのではないかと考えた。

それが、「人格」である。

何を持って「人格」と呼ぶのか

座右の銘というものがある。
人々は、この座右の銘を時たま自己紹介の時なんかに紹介したりする。
この座右の銘が与える情報の1つに、「その人の生き方」や「考え方」がある

こんな言葉をどこかで耳にしたことはないだろうか。

もし今日が人生最後の日だとしたら、
今やろうとしていることは 本当にやりたいことだろうか。

スティーブ・ジョブズ(Apple創業者)

フルで覚えてなくても、どこかニュアンスだけでも感じたことあるいは思ったことがあるのではないだろうか。

私は、この言葉を耳にして思ったことがある。
「IT業界そしてビジネスのトップ」であるスティーブ・ジョブズが、
わざわざ、人々の人生とその生き方に問いを投げかけるのは一体なぜなのだろうか。

自分の成功体験をもっと世に出して、自慢し優越感に浸ることもできるはずだ。
にも関わらず、この言葉を残しているのには意味があるのではないだろうか。

そして、この意味というものが「彼自身の人格」に根付いているのではないかと考える。

そこで疑問に思うだろう。
では、その「人格」とは一体何を指しているのか

これを0から考えるのも、なかなかハードルが高いので、ひとまず辞典で調べてみた。結果は以下の通りだ。

1つ目は、「その人固有の、人間としてのあり方。個人としてのその人の人間性」
2つ目は、「人間性が優れていること」

である。どちらがより自分のイメージと近かっただろうか。
私は、前者の方であった。

その人の人格が優れているかどうかは、価値観や考え方の異なる他者との間で、判断できるものではないからだ。

では、この人格がなぜリーダーシップの本質を示しているのか。

リーダーという「立場」と「人格」の関係性

リーダーの仕事が何かと問う
大体の人は、「部下をまとめる」「重要な決定権を持っている」「会社の第一人者」という印象またはコメントを持つことだろう。それもあながち間違ってはいない。そして、多くのイメージは「リーダーでいることのメリット」に目を向けたものばかりである。

最近、私が参加しているリーダーシップとマネジメントのキャンプにて気付いた新しいリーダーの役割をここで1つ紹介する。
それが「尻拭い」である。

そもそも、会社というものはリーダー1つして成り立つものではない。
その下には、数人あるいは数百万人、大きければ数千人数万人単位の部下が存在する。彼らの役職は、マネージメント、マーケティング、エンジニア、会計それぞれ異なる業種又は職種に基づくものであるが、1つ1つが会社の「利益を産出するために必要な」人達である。

そして、彼らを雇い、仕事を与え指示を出しているのが「リーダー」であるということだ。
リーダーは会社の方向性を正し、それに即した業務を彼らに委託する。

では、その託された業務に失敗してしまった場合どうすればいいのか
叱る?はたまた解雇する?
手段は多い。あなただったらどうするか。「

「失敗」その言葉に敏感なリーダーは、憤るであろう。

ここでみられるのが、その人の指示であり、どう指摘するかである。
それによってみられる言動に、「人格」が反映されている。

どんな環境で生きてきたのか、これまでの経験の中で失敗をどうやって克服してきたのか。あらゆる葛藤や困難を乗り越えたリーダーは気づくはずだ。

これも1つのプロセスであると。

そしてこのプロセスが成功に導く鍵となり、決して無駄にはしないと。

「自分の立場に責任を持ち」「その社員を自分が雇っている」という自覚を持ち、自分だけが上に立って指示することに優越感に浸って、自己陶酔はしない。

言動に責任を持って仕事のできるリーダーだからこそ、信頼され、そして尊敬されるのだ。責任を持てるからこそ、自分のやっていることに自信を持っている。
そういう人は、やり抜く力を持っている。そして、やり抜くことができる人の周りには、そういった部下が集まってくる。

できる集団が出来上がるわけである。
そして、できる集団にはできるリーダーがいる。

そんなリーダーの人格が、「リーダーシップの本質」であるわけだ。

自己陶酔して天狗になってしまうことは、誰にでも起こりうるものだ。私自身、何かを成し遂げたときに、自分が少し天狗になっていると感じた経験がある。それは決して特別なことではなく、人間として自然な反応であろう。

しかし、そんな高揚感も、時間が経つにつれて不思議と薄れていくものだ。そして、振り返ったときには、かつての自分の姿が少し滑稽に思えたり、仲間と冗談を交わすネタになることもある。

世の中には「何かを成し遂げる人」は驚くほどたくさんいる。

そうした人々の存在に触れるたび、自分が特別な存在だと思い込むことがいかに短絡的だったかに気づかされる。そして、それがきっかけで、自分をもう一度冷静に見つめ直す機会にもなる。

皆さんにとって、リーダーシップの本質とは一体何でしょうか?

リーダーとは、時に人々の先頭に立ち、時に背中を押し、そして時にはそっと見守る存在です。困難な局面でも、他者の思いや努力を尊重し、どのように行動すべきかを模索する。そこにリーダーとしての「本質」が現れるのではないかと考えます

リーダーを目指す方もそうでない方も、一緒に答えを探せたらなと思います。

ここまで読了していただきありがとうございました。
初めてのnoteでうまく言葉を並べられていない部分もありますが、
引き続き、起業家日記をよろしくお願いいたします。



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