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私の生い立ち5 黄色い悪夢(10歳)
前回までのあらすじ
アニメや漫画に夢中の小学校2〜3年。黄色井モモ子の通う学校では、ちょっとしたホラーブーム。
1993年、小学校4年生。マキコ先生という優しい女の先生が担任だった。マキコ先生は小学校2年生のときも私のクラスの担任だった。マキコ先生は、給食でごはんが残っていれば、なんでもおにぎりにしてしまう。
「あら、ごはんが残っている。おかずもこんなに。混ぜておにぎりにしちゃいましょう」
そう言って、先生はいつもおにぎりを握ってくれた。
「食べたいひとー、手をあげてー」
と、先生がみんなに聞くと、たくさんの人が手を上げた。じゃんけんで勝った人がそれをもらえた。私も2回食べたことがある。最初は、きんぴらごぼうのおにぎりで、2回目は、余ったふりかけで握ってくれたおにぎりだった。それは、なぜだかとても美味しくて、お腹いっぱいなのに食べたくなった。
この年、私は物心ついてから、初めて高熱を出した。病院の先生は「ただの風邪ですね」と言った。それは、とてもとても辛くて、死んでしまうかもしれないという怖さがあった。世界が歪んでしまったかのような、不思議な夢をたくさん見た。深夜のテレビのような砂嵐、紫色になったり黄色になったりする空、大きくなったり小さくなったりするクラスメイト…。悪夢とはこういうことか。朦朧としている中、母が私に食事を持ってきた。でも、私は食欲がなくて、食べたくなかった。
「食べなきゃよくならないよ」
と母は不機嫌そうに言った。仕方なく口にしたが、気持ち悪い。慌ててトイレに向かったが、間に合わなかった。母はめちゃくちゃ怒りながら掃除していて、とても申し訳なく思った。そのことがきっかけで、私は病気や嘔吐がとても怖くなってしまった。あれ以来、私は一度も吐いていないし、大きな風邪も引いていない。ゴミ箱、ビニール袋、新聞紙など吐けるものがどこにあるのか、吐きたくなった時のことを考えて過ごすようになった。
習い事のドリマトーンでは、即興演奏がどうしても好きになれなかった。即興演奏とはコードに合ったメロディを考えたり、メロディに合ったコードを考えたりする課題のこと。いつも練習を疎かにしてしまい、先生によく怒られていた。何か曲を演奏する方が好きだった。
小4の時のドリマトーンの思い出といえば、こういうこともあった。