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フォーカスの先のチョコレート(三題噺「秘密」「カメラ」「チョコレート」)

 カシャッ。

 うららはカメラを構え、シャッターのボタンを切る。モニターに映し出されたケーキを見て、満足げに微笑んだ。
「今日も美味しそうに撮れた」

 うららは、会社員として働くかたわら、裏ではインフルエンサーとしての顔を持っている。ブログには美しく映されたスイーツの写真がたくさん並び、彼女の投稿を見た人々が店に殺到することも珍しくない。うららの影響力は大きかった。

 二月。百貨店では、バレンタインデーフェアが行われていた。世界各国の有名パティスリーが一堂に会し、華やかなショーケースが並ぶ。
 うららのお目当ては、一粒一万円もする高級チョコレートだった。木箱に収められたそのチョコレートは、まるで宝石のような気品をまとっている。
「これをお願いします」
 一万円札を店員に差し出すと、小さな紙袋が手渡された。まるで指輪が入っているかのような特別な包みだった。

 カシャッ。

 家に帰ると、さっそく買ったばかりの高級チョコレートの撮影を始める。角度を変え、ライティングを工夫し、納得の行く写真を選び文章を添えた。

「ひとくちで世界が変わる。そんな言葉がぴったりのチョコレート。口に含むとカカオの深い香りが広がる。なめらかに溶けるガナッシュの奥から、ほんのり果実のような酸味とビターな余韻。まるで時間がゆっくりと流れるような贅沢な後味。これはただのチョコレートではなく芸術だ」

 文章を読み返し、うららは満足げに頷いた。

 しかし投稿から数時間後、うららがコメント欄をチェックすると、そこは違和感で広がっていた。画面をスクロールする手が止まる。

「このチョコ、隠し味に味噌を使っているらしいよ」
「同じの食べたけど、酸味はなかったなあ」
「うららさんのレビュー、ちょっとズレていない?」

 ざわめくコメントの数々。うららの胸が静かに重くなる。

 うららは、味を感じることができないという秘密を抱えていた。インフルエンサーとして活動するうちに、一日三食、甘いスイーツを食べ続ける生活が日常となった。しかし、ある日ふと気づく。ケーキを口に運んでも何の味もしなかった。それからどんなに美味しいものを食べても何も感じなくなってしまった。
 それでも美味しいものを楽しむ人たちの気持ちはわかる。だからせめて写真だけでも、その美味しさを伝えたかったのだ。

 その夜、うららはインフルエンサーをやめる決意をした。最後に撮ったチョコレートの写真はとても美しく、美味しそうに見えた。

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