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私の生い立ち6 ぶちまけられたパン粉(11歳)

前回までのあらすじ
小学校4年生。あまり病気をしない黄色井モモ子だったが、初めて高熱を出した。習い事のドリマトーンでは、即興演奏が苦手で先生によく怒られていた。

 前回の生い立ちの記からだいぶ時間が経ってしまった。と、いうのもあまり良い思い出のない小学校5年生以降を書きたくなくて、どう書いたらよいのかわからずにいた。これからは、いじめの話や両親の嫌いな部分の話になるので、色々と不快に思う方もいるかもしれない。読みたくないと感じたら、そっと画面を閉じるなり、戻るボタンを押すなりしてほしい。

 1994年、小学校5年生。我が家では、17時からはリビングで勉強。学校の宿題や進研ゼミなどをやった。それが終わったら19時まで自室でドリマトーンの練習というのが日課だった。ある日、ドリマトーンの即興演奏の練習をしていたときのこと、どうしても良いメロディやコードが見つからず、色々指を動かしながら思考錯誤していた。あーでもない、こーでもない。すると、台所で料理をしていた母親が、ドスドスと大きな足音を立ててやってきて、バーンと勢いよく部屋のドアを開けて、私の頭の上に、袋いっぱいに入ったパン粉をぶちまけた。

「うるさいよ!!!真面目にやれ!!!」

 真面目だったよ。私は真面目に弾いているつもりだった。だけど心臓がばくばくして、何も言い返せなかった。上手に弾けないことが悔しかった。

「掃除するからどきな」

 その日は、そのまま強制終了させられたドリマトーン。自分でぶちまけたパン粉を、自分で片付ける母の後ろ姿をベッドに腰掛けながら眺めていた。ペダル鍵盤とペダル鍵盤の間に入り込んだパン粉が掃除しづらそうだった。

 それからは、母の機嫌を損ねないように、ドリマトーンを弾くときは、ヘッドホンをするようになった。

 学校では、私へのいじめが突然始まった。理由はわからない。無視されたり、バイキン扱いされたり、ノートに油性ペンで落書きされたり。親にも先生にも相談できなかった。キャンプの日のオクラホマミキサーも、マイムマイムも、みんな私とは手を繋いでくれず、とても惨めで恥ずかしくて消えてしまいたかった。先生も見て見ぬふりをしていた。テレビでいじめ自殺のニュースを見るたびに、いつかは自分もああいった形でニュースに出るのではないかと思っていた。

 自分がいじめられていることをずっと隠していたが、ある日、母にバレてしまった。他の保護者から聞いたそうだ。朝、私の長い髪を結いながら、こう言った。

「あんた、いじめられているんだって?なんでお母さんに言ってくれなかったの」
「別に大したことないし」
「負けないように頑張りな」

 私は、いじめっ子よりも何よりも、この母親のことが嫌いだった。

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