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あの日、弾けなかった曲
小学生の頃、ドリマトーンという電子オルガンを習っていて、発表会の曲を選ぶ日が好きだった。その日は、自分がドリマトーンに触れることはなく、先生が候補曲をいくつか弾いてくれて、その中から自分の弾きたい曲をひとつだけ選んだ。先生の美しい演奏を聴くのが大好きだった。
小学校4年生の頃、先生が私の発表会の候補に選んでくれた曲は3つあり、一曲目は『鉄腕アトム』、二曲目は『ゲゲゲの鬼太郎』…この二つは正直ピンと来なかった。小1から小3まで、アニメの曲ばかり発表会で弾いてきたので、アニメソングはもう嫌だな、と思っていたし、小4にもなってアニメなんて…と少し恥ずかしかった(当時の私、アニメ大好きだったけど)。
3曲目も、アニメソングが来たら、「アニメ以外にしてください」と言うつもりだったが、先生が弾いてくれた3曲目は、槇原敬之の『どんなときも。』だった。なんとなくテレビで聴いたことがあるようなメロディ。当時、小学校4年生の私には、誰が歌っているかも、どんな歌詞かもわからない。でも、イントロのストリングスの音色が美しくて、心が震えるような感覚がしたのを覚えている。
「どれか好きな曲はあった?」
と、先生に聞かれ、迷わず『どんなときも。』と答えた。
「この曲は、他の先生のクラスでも希望者が何人かいるから、第二希望も教えて」
発表会の曲は、他の人と被ってはいけないという決まりがあり、生徒全員の希望が揃ったときに、先生方がくじで決める。今までの発表会では、私の先生のくじ運が悪いのか、或いは私が第一希望の曲に人気の曲ばかり選ぶからか、何度も第二希望、第三希望の曲になった。でも、今回は第一希望の曲を私が弾けそうな気がした。
しかし翌週、私の曲は『ゲゲゲの鬼太郎』に決まったと、先生はとても申し訳なさそうに言った。第二希望だった。またアニメの曲か…と落ち込んだが、この曲は音色の切り替えがとても楽しく、なんだかんだ自分に合っているんじゃないかと感じた。夕方やっていた『ゲゲゲの鬼太郎』の再放送、好きでよく見ていたし。ただ家に帰って、親に報告したとき「またアニメー!?」と嫌そうに言われたことは、すごく辛かった。
何度も何度も練習し迎えた本番当日。親が用意してくれたピンク色のとても可愛いワンピースを着て、『ゲゲゲの鬼太郎』を完璧に弾いてみせた。アニメソングを弾くことに難色を示していた母も、「とても不気味で良かった」と褒めてくれた。ちなみに、私が弾けなかった『どんなときも。』を弾いた人は、私と同い年の、自分とは違う小学校に通う子だった。
数年後、私は中学2年生になり、CDショップで槇原敬之の『SMILING』というベストアルバムを購入した。ファンだったとか、そういうのではなく「聴いてみようかな」くらいのすごく軽い気持ちで。『冬がはじまるよ』とか『どうしようもない僕に天使が降りてきた』とか知っている曲もたくさんあった。
帰宅後、CDプレイヤーで再生。部屋の掃除をしながら垂れ流すつもりが、気がついたら槇原敬之の作る音楽の世界にどっぷりとハマり、歌詞カードを片手に、ただ部屋をうろうろしていた。うわああ、この人の声、好きだなー。そんなことよりも、メロディと音がすごく好き。音楽的快楽。意味もなくドリマトーンの蓋を開け、今すぐ私も何かを弾かなくちゃという気持ち。そんなふうにそわそわしていたのを覚えている。それから、槇原敬之の今まで出したシングルや、アルバムを全部集める日々が始まった。
同じクラスに、紺ちゃんという子がいた。紺ちゃんは、私と同じ先生にドリマトーンを習っていた子だった。彼女に、槇原敬之のCDを集めていることを伝えると、なんと、『どんなときも。』の楽譜をくれた。見覚えのある字で書かれた手書きの楽譜だった。
「この曲、小4の頃、発表会で弾いたんだよね。もう弾かないからあげるよ!」
小4の頃と、聴いたときピンと来た。私が『ゲゲゲの鬼太郎』を弾いていたとき、私が弾けなかった『どんなときも。』を弾いていたのは紺ちゃんだったのだ。
「他に先生が候補に上げた曲はなんだった?」
と、私が尋ねると
「アトムと鬼太郎」
と、紺ちゃんは答えた。私の発表会の候補に挙げられた曲と全く一緒で笑った。
高校生になり、槇原敬之のファンクラブに入った。『もう恋なんてしない』や『Hungry Spider』も弾けるようになった。ときどき思う。もしも、小4の頃、発表会で『どんなときも。』を弾いていたら、ここまでファンにならなかったのではないかと。弾けなかったからこそ、CDショップで槇原敬之のCDと巡り合うことができたのではないかと。或いは、もしも『どんなときも。』を弾いていたら、私は小学生のうちから槇原敬之を聴き始め、自分もドリマトーンと一緒に音楽の道に進んでいたかも。そんなことを41歳になった今でもときどき、考えてしまう。
あんなに夢中になって弾いたのに、私が大学生になり実家を離れている間に、ドリマトーンは壊れてしまった。ボタンを押しても音色が切り替わらない。リズムが止まらない。スピーカーから異音がする。楽譜も捨てられてしまった。もう20年くらい触ってないから、きっと楽譜があっても読めないし弾けないと思う。
しかし、槇原敬之の音楽は私の人生のさまざまな場面で流れ続けていた。