明るい色の服が着られるようになった話と自己肯定感
あなたの好きな色はなんですか?
金糸雀という名前からわかるように私は黄色が大好きで、かと言って黄色のものばかり持っているかと言われれば全くそんなことはないのだが、特に黄色の服を着ると気分が上がるので好んで着る。
思い返せば、私が初めて黄色の服を自分の意志で買ったのは去年の今頃だった。
長年の制服生活の後遺症として全く私服というものを持っていなかった私は、大学入学直前に慌てて私服を一通り揃えたのだが、その時に買った服はほとんどが黒、紺、茶といった暗い色が中心だった。
色で選んで買ったわけではなかったが、服を買う前の自分が着ているところを想像する段階で明るい色は候補から外してしまっていた。
小学生の頃、母親が「似合うと思って」といって買ってきてくれた鮮やかな青い服を、「そんなの私が着たら笑われる、恥ずかしくて着られない」と泣いて拒んだことがあった。
「そんなことないよ」と励ます母の困った、ちょっぴり悲しそうな顔が今でも忘れられない。
明るい色の服はどうしても目を引くし、目立つ。
だからこそ、「私なんか…」が口癖の私にとっては絶対に避けたいものだった。
「ブス/デブのくせに派手な色の服着て、恥ずかしくないの?」
そう誰かに笑われてしまう気がして怖かった。
自分のことが嫌いで嫌いで仕方ないと同時に、自分が可愛くて仕方なかった。
「存在を認識されたくない」と「認めてほしい」という気持ちがぶつかり合って、自分の中で常に葛藤があった。
時は経ち、大学に入って、本当に色々な人に出会った。
多様性に触れたことで、これまでの自分の世界がいかに狭くて、偏ったものであったのかを思い知らされた。
そして、家族からも、古い友人関係からも解放された真新しい環境は、私を良い意味で真っ白にしてくれた。
陳腐な言い方になってしまうが、心が裸になれた。
本当に自分が好きだと思えるもの、やりたいと思えることのような、自分の心が動くことに敏感になることができた。
これまで自分を苦しめてきた「誰か」は他でもなく自分自身であり、私は自分の心を守るためにあえて自分の行動にブレーキをかけていたことに気づいた。
しかし、どうだろうか、私が大したことのない、どこにでもいるような平凡な人間なのならば、誰が私のことをあえて馬鹿にするだろうか?
この論理、そもそも矛盾してない?
そう思えたときに、「他人の目」という強迫的な妄想から解放された。
今でも自己肯定感の低さで悩むことは多いが、だんだんと自分を認められるようになってきた。
諦められるようになった、という言い方の方が正しいかもしれない。
私を含め自己肯定感の低い人は、往々にして「~べき」という絶対論的思考に縛られていることが多いのではないだろうか。
自分(もしかしたら親が)設けたとてつもなく高い目標や理想像と現実の自分のギャップが認められなくて苦しんでいるのかもしれない。
明るい色の服を着られるようになったことは私にとって大きな成長であり、自己肯定感を上げる修行の成果に他ならない。
黄色が好きだから黄色を着る、もちろん誰にも文句は言われない。
自分の顔面も体型も肌の色も髪質もなにもかも満足はできないけれど、仕方ない。これが私なんだから。
「私にできることは私の持っている能力でできることだけだし、もちろん努力はするけど、あんまり多くを求められても困るよ。」
そう「私なんて…」ちゃんな自分に言って聞かせて、今日もなんとか元気に生きている。
この一年間で私のクローゼットの中には色々な色が増えてにぎやかになった。
いつかもっと楽に生きられるように、これからも自己肯定感を上げる修行に励んでいきたい。もちろん大好きな黄色い服を着て。