おにぎりに指輪
「じゃあ、今度のzoomミーティングで。」
微笑みながら頭を下げた瞬間に汗が一滴ポタリと靴に落ちて同時にお腹が鳴った。
そろそろ昼飯にするか ....
東京に来てまだ5年目。掃除面積の少ない部屋も
正方形の小さなガスコンロもすっかりと慣れた。
作った飯を床に置く事は辞めた。
生まれも育ちも都会の俺にとって東京は巨大な存在では無かったが、好んでサラダにかけていたドレッシングの高値に思考停止した。
それは、自分が当たり前に食べさせて貰っていた有難さを教えて貰う瞬間でもあった。
財布の腹痛で自前の弁当を公園で食べる事もいつの頃からか息抜きになっている。
俺、何やってるのかな_
自問自答は文句では無い。当たり前では無い今日は沢山の事や人に感謝する事だと充分に解っているつもりだ。
時々、理論正論と理屈屁理屈が渦を巻き全てを蹴散らしプロテインを飲みたくなる。
イヤホンを無意識で耳につけ顔を上げると周りはヘッドホンを着ける人が行き交う。
本音を込めたお洒落に仲間意識が高まる不思議。
流行りか..良いね。良い_
靴の汚れを指でぼかしているとベンチ下はお行儀の宜しく無い人に飲まれた後の空き瓶やペットボトルが並んでいた。
並べるか...
綺麗に立てるくらいなら捨てれば良いのに_
そう言えば俺は小さい頃から並べる事が好きだった。きっかけは母さんだった。
少ない玩具に飽きてしまい、玩具が無いと言いはり困らせたり怒られたりした記憶がある。
そんな俺に母さんは有りったけの玩具を並べ、
新聞をちぎっては丸めを繰り返して拳骨くらいの丸いボールを作り転がしてみせた。
「 ほれ、やってごらん。楽しいよ。
倒せた数でゲームだ。
お母さんはご飯を作ったり、お洗濯があるから
たっぷりと練習しといてね。」
手に乗せられた丸めた新聞ボールに他の玩具には無いワクワクを感じながら夢中に遊んでいた。
「はい、はい、お待たせ。
あらま、汗いっぱいかいちゃったね〜。」
エプロンで手を拭きながら家事から戻ってくれた
お母さんに練習の成果を見せたくてムズムズしたが、さっきまでストライクの連発だったのに上手くいかず不貞腐れた。本当にアウトだった_
「 せっかく頑張って上手になったのにね。
あのね、玩具が無かったら自分で考えて遊ぶ
の。自分が作った玩具は楽しいよね。」
そこに求めいる物が無いならば作ると初めて教えてくれた人は母さんだった。
学生の頃は単にだらけ癖で、ついつい床に飲み干したペットボトルを並べて行く癖が取れなかった。
ある日、学校から帰宅して部屋に行くと散らかしているペットボトルが、部屋の真ん中にボウリングのピンの様に美しく並べてあった。出勤前にわざわざ並べて行く母さんからのメッセージは片付けなさいだった。
大人になった今は違う理由で調味料を床に並べている始末だ。
背中のスイッチを切ってやりたくなる程によく喋り、笑い過ぎてお腹が痛いと叫び、怒る時はきっぱりさっぱりの元気な母さん。
今日もおにぎりを食べる時はわざわざ指輪を付けているのだろうか。
「 何歳になっても乙女心は大切なんで。」
いつもの台詞の空耳に休憩を終えた。
自分で考えて楽しい事を作るだったな_
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