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【小早川秀秋死去】1602年10月18日

【小早川秀秋死去】1602年10月18日
小早川秀秋が病没、小早川家は断絶。享年20。精神異常による悶死といわれる。秀吉の甥の一人であり養子となる。実子の居なかった秀吉はこの養子たちに継がせようとした。しかし秀頼誕生で状況は一変、邪魔者となる。関白秀次切腹など秀吉晩年の黒歴史、秀秋は当初毛利輝元の養子の予定だったが、本家乗っ取りの危機を小早川隆景が阻止した。この悲劇は毛利家にも影響し、小早川家相続が決まっていた隆景の甥秀包は廃嫡、穂積家に戻る。秀包は元就の再来と言われる智将。このまま小早川家相続していれば毛利家の関ケ原でのバラバラな対応も変わっただろう。 #光る君へ #大河ドラマ

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