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◯◯市と✕✕市って仲悪い。という地域問題って日本全国どこにでもあると思います

◯◯市と✕✕市って仲悪い。という地域問題って日本全国どこにでもあると思いますが。
戦国時代の怨恨から、約270年後の江戸時代に勃発した事件があります。
文政五年(1842年)8月29日、津軽と南部が激突(正確には未遂)した相馬大作事件です。
青森県は今も東西で意識の分断があると聞いたりします。戦国の青森は南部家の内紛に明け暮れる。信直の登場で収まるが津軽地方は国人家臣の力が強かった。その有力者大浦家が秀吉の小田原征伐に独断で参陣、直臣となり津軽10万石安堵となる。南部家は激怒、しかし秀吉の裁定に従わざるを得ず遺恨となる。江戸中期津軽は老中と誼を得て親戚となり従四位侍従に昇任、南部家と並んでしまった。盛岡藩士・下斗米秀之進が相馬大作の偽名で参勤交代の列の弘前藩主・津軽寧親の襲撃未遂事件を起こした。時勢は幕末に向かう文政時代、これが秀忠時代の頃なら改易モノだが、下斗米秀之進は久保田藩に逃亡、その後も津軽家に果たし状を送るなどしたが、津軽家はお咎めなし。幕府のタガが緩んできた #光る君へ #大河ドラマ

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