植民地が欲しいと、歪んだ欲望からコンゴ自由国を手にしたベルギーのレオポルド2世。

植民地が欲しいと、歪んだ欲望からコンゴ自由国を手にしたベルギーのレオポルド2世。彼の統治はまさしく地獄でした。天然ゴム採取のため住民たちを虐待・殺戮。例えば手首を切り落とすなど、正視に耐えたがたいほどの恐怖で支配します。1884年ヨーロッパ列強は「ベルリン会議」で、それぞれのアフリカの分け前を決めました。その中でこのコンゴザイール川流域の広大な土地は、なんと個人所有となるのです。それはアフリカの沿岸部は象牙や奴隷の貿易港として英国やフランスが独占、内陸盆地には目もくれません。ベルギー政府も赤字確実に否決、結果国王の個人所有となるのです。予想通りの大赤字を何年も続け国王も落胆。しかしここで自動車の発明でタイヤ需要が爆発。ゴムの木密生地はゴム版ゴールドラッシュとなる。今までの赤字を取り返そうと苛烈な農業奴隷政策でまさに「ゴム地獄」となった。 #どうする家康

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